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2004年9月25日の「天声人語」
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作者:jianxion… 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2004-10-12 20:21:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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贯通会员翻译讨论作品,仅供参考,如果想参与讨论请登陆论坛天声人语版块。 パラリンピックが開かれているアテネから西の方に約400キロ、レフカダはイオニア海に浮かぶ小さな島である。「怪談」や「知られぬ日本の面影」を著したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、1850年に、この島で生まれた。
从正在举办残奥会的雅典往西约400公里,有一个名为勒夫卡达的小岛浮在爱奥尼亚海中。著有《怪谈》、《陌生日本的一瞥》的拉夫卡迪奥•赫恩(小泉八云),1850年,就生于此岛。
出生地はリュカディアと呼ばれていた。それは「放浪」を意味すると言われている(『小泉八雲事典』恒文社)。母の国ギリシャから、父の出身地アイルランド、さらに英、米、仏領西インド諸島などを経て、1890年には日本へ。ハーンの人生の旅も長かった。
他的出生地名为为留卡迪阿。据说是“放浪”之意。母亲来自希腊,父亲的出生地是爱尔兰,他又遍历英、美、法属西印度群岛等地,于1890年来到日本。赫恩的人生旅程也很漫长。
松江、熊本で教えた後に東大の英文学の講師となる。「小泉先生は英文学の泰斗でもあり、また文豪として世界に響いたえらい方であるのに、自分のやうな駆け出しの書生上りのものが、その後釜に据わつたところで、到底立派な講義ができるわけのものでもない」。ハーンの後任の講師となった夏目漱石が、妻にもらしたという。
他在松江、熊本执教之后又成为东大的英国文学讲师。据说赫恩的后任讲师夏目漱石曾对妻言,“小泉先生可谓是英国文学的泰斗,又是享誉全球的文豪,自己这样初出茅庐的书生来接他的教鞭,不可能上好课”。
ハーンは100年前の9月26日、狭心症で他界した。新宿区立大久保小学校の前に「終焉(しゅうえん)の地」の碑がある。昨日、その筋向かいの八雲記念公園へ行ってみた。
赫恩于100年前的9月26日,因心肌梗塞而离开了人世。新宿区大久保小学的前面立着上写是他“終焉之地”的碑。昨天,我去了在那斜对面的八云纪念公园。
新宿区とレフカダは友好都市になっており、ギリシャ政府から贈られたハーンの胸像がある。像は西の方を向いていた。妻節子が「思ひ出の記」であげていた、ハーンの好きだった物を思い浮かべた。夕焼け、夏、海、遊泳、淋しい墓地などの最初に「西」とあった。
新宿区与勒夫卡达是友好城市,希腊政府曾送来一座赫恩的胸像。像是面向西方摆放的。我回想起他妻子节子所著的《回忆录》中所列举的赫恩爱好的事物。晚霞、夏日、海、游泳、孤寂的墓地,等等,而在这些之前是“西”。
像の近くに茂るオリーブの葉先にシジミチョウが舞っている。セミやアリやチョウもまた「パパの一番のお友達」だったという。
像前茂密的橄榄树树叶上,小灰蝶盘旋飞舞着。据说蝉、蚂蚁以及蝴蝶也是“赫恩最好的朋友”。
相关链接: www.cuhk.hk/ics/21c/supplem/essay/000901g.htm http://www.lib.shimane-u.ac.jp/l0/pro/yakumo/nenpu.html
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