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2004年9月20日の「天声人語」

作者:鱼鱼 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2004-10-12 20:14:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

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人生(じんせい)(のこ)時間(じかん)(すく)なくなってきた。そう(おも)(はじ)めたとき、(ひと)はどうするか。できるだけ(ゆた)かに多彩(たさい)()きようとするのか。あるいは余計(よけい)なものを(けず)りつつ、簡素(かんそ)()(かた)(こころざ)すのか。

当人们开始意识到,人生剩余的时间在逐渐的减少的时候会怎么做呢?是尽可能的让生活过得丰富多彩,还是是立志于消除生活中多余的繁琐细节,过一种简单朴素的生活呢?

 「テレビは()ない、電話(でんわ)(きら)い、冠婚葬祭(かんこんそうさい)(よる)のパーティーはすべて欠席(けっせき)、ワープロ、インターネットとは無縁(むえん)」。今夏亡(こんかな)くなった作家(さっか)中野孝次(なかのこうじ)さんは、余計(よけい)なものを排除(はいじょ)しながら晩年(ばんねん)(おく)った。しかし、容易(ようい)()()れないものもあった。数々(かずかず)書物(しょもつ)である。

今年夏天逝世的作家中野孝次先生就是,排除一切生活中多余的部分“ 不看电视,不打电话,不出席任何婚葬仪式,不用打印机,不上网。”(在这样的简单生活中)渡过了自己的晚年。但是,(他)也有着无法舍弃的东西,那就是一生珍藏的诸多书籍。

 あるとき、愛蔵(あいぞう)してきた(ほん)手放(てばな)苦渋(くじゅう)決断(けつだん)をした。「(わか)れるべき書物(しょもつ)文学者(ぶんがくしゃ))の()(ひと)つずつ()いていった」。たとえばドイツ(ぶんがくしゃ)学者の全集(ぜんしゅう)身内同然(みうちどうぜん)で「(わか)れるのは文字通(もじどお)()()られるような(から)さ」だった(『((()()いのこみち()文芸春秋(ぶんげいしゅんじゅう))。

有些时候,不得不做出痛苦的决断,放弃自己珍藏的书籍。(他说)尽管如此还是应该将放弃的书籍名(作者)一一的记下来。例如德国的文学家全集,全身都觉得“和它们分开简值就是切肤之痛”(《老人之路》文艺春秋)

 ()()れないものもあった。(さけ)(たの)しみである。午後(ごご)間食(かんしょく)せず、水分(すいぶん)(ひか)える。「そうやって体調(たいちょう)下拵(したごしら)えをしながら、()()れたときのことを(おも)って、(こころ)をおどらせている」。そして「(いぬ)たちを(かたわ)らにはべらせての(ひと)(ざけ)」に至福(しふく)時間(じかん)()ごした。

另一个无法割舍的就是享受酒的乐趣。“下午不吃午饭,控制喝水, 一边调查好身体的状况,一边想像着到了日暮将至时的情景,心情就变更无比激动”。就这样渡过“ 让旁边的小狗陪伴我自饮自酌”的幸福时光。

 (のこ)りの時間(じかん)には、日本(にほん)中国(ちゅうごく)古代(こだい)()()古典(こてん)世界(せかい)沈潜(ちんせん)した。簡素(かんそ)でぜいたくな余生(よせい)である。そんな生活(せいかつ)(なか)から、いやおうなく()えてきたものがあった。現代社会(げんだいしゃかい)のゆがみである。「()いの()(ごと)」とはいわせない数々(かずかず)警告(けいこく)(のこ)し、(かれ)()った。

在剩下的时间里,就沉浸在日本、中国以及古罗马的古典世界里,渡过了一个简朴的晚年。在这样的生活中,也有着偏离现代社会却令人不可置否的东西。他留下无数不能被称呼“老人的唠叨”的告诫离开了我们。

 つい先日亡(せんじつな)くなった歌人島田修二(かじんしまだしゅうじ)さんにこんな作品(さくひん)がある。〈(。()余計者(よけいもの)になりてしまひし老人(ろうじん)()(するど)さをわがものにせん〉。()。)()いた()(するど)さにも敬意(けいい)(あらわ)すべき敬老(けいろう)()だ。

先些天逝世的和歌作者岛山修一先生留下了这样的作品“暮年的年老人们敏锐的目光,是我们不可得的” 这应该是向老人敏锐目光表达敬意的“敬老日”。

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