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2007年05月27日の「天声人語」

作者:氷筍 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2007-7-5 15:53:46 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

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鳥の声の「聞きなし」を知っておられるだろうか。鳴き声に耳を傾けて、似た言葉に置き換えることだ。簡単なものではカラスの「阿呆(あほう)、阿呆」、コノハズクの「仏法僧(ぶっぽうそう)」などがある。

您大概知道鸟语的“擬音”吧。它是指侧耳倾听鸟的鸣声,再替换成相似的词语。简单的举个例子:如乌鸦的“傻子、傻子(あほう)”、 三宝鸟的“佛法僧(ぶっぽうそう)”等。

やや難しくなるとフクロウを「ぼろ着て奉公」と聞く。地方によってさまざまだが、ツバメなら「土食って虫食って渋い」、ホオジロは「一筆啓上仕(つかまつ)り候」となる。夏を告げる渡り鳥のホトトギスは「特許許可局」だ。久しぶりに聞きたくて、先だって群馬の山を歩いた。

稍许难些的有:听猫头鹰的似“清廉奉公(ぼろてほうこう)。虽然因地域而各显不同,但燕子是“吃土食虫涩涩味(つち食ってむしくってしぶい)”、 黄道眉为 “执笔拜上(いっぴつ‐けいじょうつかまつるそうろう)”。宣告夏日来临的杜鹃则是 “特许许可局(とっきょきょかきょく)”。想听听这些久违的声音,前些天去群马的山中走了走。

滴るような青葉だが、時期が早すぎたのか、美声の拝聴はかなわずに山を下りた。だがじきに飛来して、あたりのウグイスの巣に卵を産み付けるだろう。「托卵(たくらん)」といって、ホトトギスには抱卵から子育てまで他の鳥にお任せする変わった習性がある。

绿叶青翠欲滴,不过时节或许尚早,未能聆听到美妙的鸣声就下山了。然而想必不久它便会飞来,在这附近黄莺的巢中产卵吧。提起“寄卵”,杜鹃有个很怪异的习性:就是从孵卵到养育子女都是由其他鸟类代劳的。

孵化(ふか)したホトトギスは育ての親より大きくなる。巨大なヒナに、小さな親が餌を与える図は、かなり奇異だ。自然の摂理とはいえ、ずうずうしい習性である。

孵化出来的杜鹃比养育它的父母体形大。身形娇小的父母给巨大的雏鸟喂食,甚是奇异。虽说这是自然界的法则,却是个很无赖的习性。

劇作家の宇野信夫はある劇で、子不孝な遊び人を、岡っ引きが「お前は親にはなったが、親とはなれぬ」と諭すせりふを書いた。生物学的には親でも、世間的には親として失格。その含みを「に」と「と」の違いに込めた。遊び人は改心する、という筋書きだ。

在剧作家宇野信夫的某剧中:捕吏写给不养子女游手好闲者的训谕为:“你虽身为父母,却远离父母。”生物学意义上既便是父母,但社会伦理上没有资格当父母。其意包含在“に”和“と”的差别中。内容梗概为:籍此游手好闲人洗心革面。

親と子をめぐる辛(つら)い話が多い。熊本市の「赤ちゃんポスト」で男児が保護され、東京のゴミ集積場では女児が置き去りにされた。〈ツバメの子赤ちゃんポストは無縁です〉。川柳欄の入選作にほほえみつつ、「に」と「と」の違いを思ってみる。

围绕父母与子女之间辛酸的话题有很多。在熊本市“婴儿邮箱”一名男婴受到的庇护,女婴被遗弃在东京的垃圾堆集场。“燕子的子女与邮箱无缘”,微笑着浏览川柳栏的入选作品,试着思考着“に”和“と”的不同。

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