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2004年9月07日の「天声人語」

作者:mutoulh 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2004-10-1 15:06:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

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9合目までは車で行ける。そこから先は歩いて登る。15分ほどでベズビオ山の頂に着いた。元の山頂は噴火で吹き飛んでいるので、巨大なすり鉢のふちが頂上だ。火口の方から白い煙が静かに立ちのぼる。

可以乘车到第九个十字路口,从那开始走路攀登。15分钟左右就到达了维苏威火山的山顶。原来的山顶因为火山爆发而被炸飞了,山顶上变成了一个巨大研钵形的深潭。从火山口静静地冒出白烟。

 これは20年近く前の記憶だが、その約200年前にゲーテが来た時は、火山活動が活発だった。旺盛な探究心からか、イタリアのナポリ近くのこの山に3度登った。

这是近20年前的记忆了,可是大约200年前,歌德来的时候,火山活动还是很活跃的。抱着强烈的探究心,第三次登上了这座意大利靠近那不勒斯的山峰。

 「われわれは円錐形の火口の下方から噴き出している物凄い噴煙めがけて、元気よく進んで行った(略)地面はますます熱くなってきた。堪えがたいような濃い烟が渦を巻いているので、太陽も暗くなり、息も詰まりそうである」(『イタリア紀行』岩波文庫)。相当な冒険だ。さすがに案内人が引き留める。「そこでわれわれは地獄の釜から逃れた」

“我们在从圆锥形的火山口的下方喷出来的烟灰中,坚强地行进着,地面也越来越热了。难以忍受的浓烟卷着漩涡,太阳变暗了,呼吸也困难了。”(《意大利行记》岩波文库)。相当的冒险啊!幸亏引导人的挽留,才使我们逃离了地狱。

 ベズビオは、ゲーテが来る150年ほど前には、犠牲者が数千とも1万人以上ともされる噴火をした。最も有名なのはポンペイが埋まる79年の噴火だ。「博物誌」を著した大プリニウスは、ベズビオに近づこうとして窒息死した。「きのこ雲」のような噴煙が見え、人は落下物を防ぐため頭に枕を縛り付けたと、おいの小プリニウスは記す(『素顔のローマ人』河出書房新社)。

在歌德来150年之前,维苏威火山的爆发导致大约有几千人甚至有1万人以上牺牲了。最著名的一次时把庞培埋藏于地下的79年那次爆发。著有《博物志》的大普里尼斯在靠近维苏威火山的时候窒息而亡。他的外甥小普里尼斯曾经记载到:能看到像“蘑菇云”一样的烟雾,人们为了防止落下来的石块,把枕头绑在了头上。

 浅間の噴火では、きのこ雲は見えなかったようだが、灰は100キロ以上運ばれた。沈静化を願うが、いつぶり返すかと不安も残る。紀伊半島沖では、気象庁が「前例がない」とする連続地震が起きた。

浅间的火山爆发没有看到蘑菇云,但是,火山灰被喷射到了100公里以外的地方。希望他沉静下来,但是却仍存在着复发的危险。在纪伊半岛近海发生了就连气象厅也认为是“史无前例”的连续地震。

 それぞれの地の底が刻んでいる太古からの固有の時。今もって、測るに手強(てごわ)い相手である。
各种各样的篆刻在地下的亘古不变的时刻。至今仍是难以预料的对手。

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