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2004年9月02日の「天声人語」
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作者:jianxion… 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2004-9-22 1:32:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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贯通会员翻译讨论作品,仅供参考,如果想参与讨论请登陆论坛天声人语版块。 以《蒲田》和《乡村教师》而闻名的田山花袋(注:1871~1930小说家。名为禄弥。群马县生人。1907年发表了划时代的自然主义文学作品《蒲田》,主张赤裸裸的现实描写。此外,还有《生》、《妻》、《乡村教师》等作品)在明治早期,还是一个少年的时候,曾被送到东京京桥书店去做帮工。成天背着堆积如山的书去拜访顾客。他回顾道,“有时拿着写有所要书的书名的纸,或帐册,去路边的书店挨家叩问”(《东京三十年》岩波文库)。
不久以后,就因要买书变成了订货客人了,他这么写道,“在丸善的二楼,还是那个狭小昏暗的二楼(略)笑咪咪的店主人,到处是灰的书架(略)就在那个二楼上不时有震撼欧洲名重一时的书籍被送来,赫然排列成行”。
他还记述道,19世纪欧洲的思潮就是通过丸善的二楼不断地朝远东的孤岛送来微波细浪。也不仅是思潮,欧洲的文化在国门开放之后,可以说是以书籍浪潮的形式,漂洋过海而来。
即使在21世纪的今天,只要一去书店,有时仍有站在时代的风口浪尖上的感觉。桌面上罗列着各种各样的书。其内容纵然千差万别,那一册一册,看起来就像是如今这个时代的层层细浪。
受业务单位破产申请的牵连,导致在今年7月份,东京、神奈川的7个店铺全体关门的“青山图书中心”,已开始东山再起。喜欢这种在设计、摄影等领域里充满个性又面面俱到风格的顾客们发起了签名运动,有一个业务单位进行了支援。
昨天,因举办“重开张赞助展销”,关门后变得空空荡荡的六本木店的书架,有一部分又砌上了书。我在脑海里,描绘出了一幅这样的小波浪一个接一个,沉睡的浪潮终于甦醒,连成一线汹涌而来的情景。
原文: 「蒲団(ふとん)」や「田舎教師」で知られる田山花袋は、明治前期の少年のころ、東京・京橋の本屋に奉公に出された。山のように本を背負って得意先を回る。「時には必要な書籍の名を書いた紙乃至(ないし)は帳面を持って、通りにある本屋を一軒々々訊(き)いて歩いた」と回顧している(『東京の三十年』岩波文庫)。
やがて、本を買い、注文する側となってこう書いた。「丸善の二階、あの狭い薄暗い二階(略)莞爾(にこにこ)した番頭、埃(ほこり)だらけの棚(略)その二階には、その時々に欧洲を動かした名高い書籍がやって来て並べて置かれた」
19世紀の欧州の思潮は、丸善の二階を通して極東の一孤島にも絶えず微(かす)かに波打ちつつあった、とも記す。思潮に限らず、西欧の文化は、開国後に書物の波となって渡来したと言えるだろう。
21世紀の今でも、本屋に行くと、いわば時代の波打ち際に立っているかのような思いをすることがある。平台に様々な本が並んでいる。中身は千差万別としても、一冊一冊が、今という時代の小さな波の一つ一つに見える。
取引先からの破産申し立てを受け、今年7月に、東京、神奈川の7店舗全店が閉店に追い込まれた書店「青山ブックセンター」が、再建へと始動した。デザイン、写真などの分野での個性的な品ぞろえに愛着を持つ客らが署名運動を起こし、取引先の一つが支援に動いた。
閉店で空っぽになっていた六本木店の書棚には、昨日、「再開支援フェア」で、一部だけだが本が並んでいた。この小さな波と波が連なり、大きな渚(なぎさ)となってよみがえるさまを思い描いた。
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