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2004年9月01日の「天声人語」

作者:jianxion… 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2004-9-7 6:05:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

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こんなところで切ったらあかんがな、なに?地震?――そのまま電話は不通になった。1923年9月1日正午ごろ、山本権兵衛内閣の組閣の原稿を東京から電話で受けていた大阪朝日新聞でのことだ。

怎么能在这时挂断呢?怎么回事?地震?——就这么着电话断线了。这是1923年9月1日的正午时分,大阪朝日新闻正通过电话接收有关山本权兵卫内阁组阁的稿件时的情景。

 通信途絶の中、最初の情報は鉄道関係からだった。「東海道沼津付近を中心として近来稀有(けう)の強震」があり、特急が立ち往生した、との号外を出したのが午後2時である。

在通信全面中断下,最初的消息来自铁路方面。下午2时许发出的号外,报道了“以东海道沼津附近为中心发生了近来罕见的强震”,特快列车动弹不得的情况。

 軍は情報を持っているだろう、と取材したが「連絡がつかんで困っている。朝日さん何か情報はないか」。夕方、横浜港に停泊中の船からの無電で、大規模地震であることを知った。さらに詳しい情報を伝えたのは、その船から神奈川県の警察部長が大阪、兵庫県知事と大阪朝日にあてた無電だった。夜9時すぎである。

因想到军队也许掌握着情报,跑去一问,对方说“无法联系,正抓瞎呐。你们朝日报社没打听到什么吗?”。傍晚,从停泊在横滨港的船上的无线通讯中才了解到大规模地震的情况。更加详细的信息传递,是神奈川县的警察部长从该船上向大阪、兵库县知事和大阪朝日新闻社发出的无线通讯。那已经是晚上9点以后的事了。

 社屋(しゃおく)が焼失した東京の記者は惨状を伝えるため次々大阪に向かった。車で出発した3人は、橋が落ちていた相模川を泳いで渡った。あとは徒歩である。「君は速く歩きすぎるよ」「弥次喜多(やじきた)じゃあるまいし、急ぐのは当たり前じゃないか」。空腹と疲れで口論しながらの旅だった。途中から汽車に乗り、4日朝、大阪朝日に着いた。持参した写真は号外に掲載された。

报社已经烧毁的东京方面的记者为了通报地震后的惨状络驿不断地赶往大阪。开车出发的3人,来到桥已震塌的相模川河边,只得游水渡过。之后就是步行了。“你走得太快了”“这可不是弥次喜多似的游山玩水(注:弥次喜多是指日本古代十返舍一九所著的《东海道中膝栗子》中的两个人物,秘次郎兵卫和喜多八。书中记述了两人在旅途中的许多滑稽故事)。当然要快了”。就这样一路上又饿又累,还要拌嘴。走到半道,乘上了火车,4日早晨,到达了大阪朝日新闻社。他们所带来的照片,刊登在号外上。

 関東大震災はメディアの世界にも衝撃を与えた。情報過疎の中、流言(りゅうげん)から朝鮮人虐殺事件が起きるなど深刻な課題も突きつけられた。震災後、ラジオへの関心が高まり、2年後の放送開始につながった。

关东大地震也给了传媒世界带来很大的冲击。在消息过少的情况下,就遇到了像流传残杀朝鲜人事件谣言这样严峻的课题。大地震之后,人们对无线广播的关心高涨,导致2年后就开始播放了。

 通信技術が格段に発達した今日、「隔世の感」との思いもするが、過信こそ最も危険、という教訓を忘れてはならないだろう。

从通信技术格外发达的今天来看上面的情景,简直是恍若隔世,但不能忘了过于相信才更加危险。

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