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日语阅读:ギターでさようなら

作者:佚名 文章来源:kekejp.com 点击数 更新时间:2020-3-31 21:54:14 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

「ギターでさようなら」


これは今から25年ぐらい前の話です。私は高校にいる時から海外旅行をしたい、大学を卒業して仕事を始める前に是非一度外国で生活したいと思いました。大学に入った時丁度学生邉婴丹螭茄违攻去楗ぅⅳ辍⑹跇Iがありませんでした。暇がたくさんあったので、いろいろなアルバイトをして外国に行くお金を貯金しました。そして、2年生の時に日本を出ました。フィンランドからギリシャまでヒッチハイクで旅行して、船でイスラエルに行ってキブツという集団で生活しました。


キブツではボランティアとして一日八時間食堂で皿洗いをしたり、バラの花を育てたりしました。キブツには遊ぶ物が何もなかったので、休みの日や暇な時には日本から持って行ったギターで日本のフォークソンゲを弾いて歌ったり、ビートルズの歌を他のボランティアと一緒に歌ったりしました。ホームシックにはかかりませんでしたが、時々おいしい日本酒が飲みたい、おいしいお寿司が食べたいと思う時がありました。


ある冬の寒い夜、どうしてだか分かりませんが、急に日本の歌が歌いたくなりました。丁度近くに誰もいなかったので、ギターを弾きながら大きな声でたくさん日本の歌を歌いました。歌い終わってギターをベッドのそばに立てかけて、日本から持って来た本を読み始めました。30分くらい読んだ時、急にギターが床に倒れて大きな音を立てました。「変だなあ。ちゃんと立てかけておいたのに、、、」と思いました。


その夜私は夢を見ました。私は、赤、ピンク、白、黄色のきれいなコスモスの花がたくさん咲いている野原にいました。「今日の日はさようなら」という日本の歌が聞こえていました。その野原の遠くのほうに一人の男性が立っていました。遠いので誰だか分かりません。誰だろう、と思っていると、その男性がゆっくり歩いてこちらのほうにやって来ます。よく見るとそれは高校時代の田中という友人でした。私はイスラエルのキブツにいるのにどうして田中がここにいるんだろうと考えていると、田中はゆっくりと手を振って、何も言わないでニッコリと笑いました。とてもきれいな笑顔でした。田中はもう一度ニッコリと笑って、小さい声で「じゃあ、また」と言ってだんだん小さくなって行きました。私はそこで目が覚めました。二月二日午前二時でした。


それから10日くらい後で日本の母から手紙が来ました。それを読んで私は驚いてしまいました。


「お元気ですか。イスラエルは冬でもそんなに寒くないそうですが、日本は真冬で毎日とても寒いです。ところで、先週とても悲しいことがありました。あなたのいいお友達の田中さんが去年から癌で入院していましたが、二月二日の朝、午前九時に亡くなりました。、、、、」


母の手紙には田中が入院してから亡くなるまでのことが詳しく書いてありました。手紙をよく読んでみると、ギターが大きな音を立てて倒れたのが田中が家から病院に救急車で撙肖欷繒r間で、私が目が覚めたのが田中が亡くなった時間なのです?!?!?





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