打印本文 关闭窗口 |
天声人语中日对照:历史遗迹 追忆亡灵
|
作者:佚名 文章来源:kekejp.com 点击数 更新时间:2020-3-29 18:58:04 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
|
▼いつもの散歩道を狭く感じたのは、左右からせり出す草垣のせいだった。ひと雨ごとに緑が深まり、ガサゴソと葉を広げ、つるを伸ばす。この時期、植物にみなぎる生命力は怖いほどだ ▼会觉得以往散步走过的道路变窄了,是因为从两旁次生出一些杂草的缘故吧。每下一场雨便更增一分绿意,哗啦啦一下子就枝繁叶茂了。这个时期的植物所展现出的旺盛生命力着实令人惊叹。 ▼〈夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡〉の句も、新暦なら今ごろだという。芭蕉は草いきれの高台に立ち、ここ平泉で非業の死を遂げた源義経ら、500年前の武人たちに涙する。「おくのほそ道」の佳境である ▼“夏草与兵勇,如梦亦无痕”,这首和歌所作之日换做新历也大致就是如今这个时节吧。芭蕉站在草地热气蒸腾的高地上,想到平泉一战中死于非命的源义经等500年前的将士们,便不由得潸然泪下了。此处也正是“奥州小道”中的一处名胜。 ▼岩手県平泉町の中尊寺や毛越(もうつう)寺が、小笠原諸島に続いてユネスコの世界遺産に登録された。平安末期、奥州藤原氏3代が砂金の財力で築いた地方政権。辺境差別に抗し、戦乱に散った万物の霊を慰める「この世の極楽浄土」を志すも、本州統一に燃える源頼朝に滅ぼされる。義経との縁が仇(あだ)となった ▼继小笠原群岛之后,岩手县平泉町的中尊寺跟毛越寺也相继登入了联合国教科文组织的世界文化遗产名录。平安末期,这里曾有奥州藤原氏以3代砂金财力建立起来的地方政权。本意是为了告慰因抵抗边境歧视而死于战乱的万物生灵,而在此建立一处“人间天堂”,然而这个愿望却为一心统一本州全岛的源赖朝所终结了。他们与义经也最终反目为仇。 ▼「夏草や」を芭蕉の随一とする研究者は多い。その一人、ドナルド・キーン氏(89)はかつて、平泉について「浄土の印象が強い。あの世が要らない」と、盛岡でのシンポで語っている ▼有很多研究学者都把“夏草”这首俳句当做是芭蕉作品中的最好的一首。这之中,有一个叫做唐纳德•金(89岁)的人在盛冈召开的研讨会上就这样评价过平泉,“给人以十分强烈的净土之气,甚至可以说是不容于世”。 ▼金氏によれば、アンコールワットや敦煌など、名だたる仏教遺跡には辺境に佇(たたず)むものが少なくない。平泉の違いは、忘れ去られた期間がない、一度も死んでいないことだという。俳聖が〈五月雨の降り残してや光堂(ひかりどう)〉と詠んだ金色堂は、時の風雪に耐えて輝く ▼按照金氏的说法,吴哥窟跟敦煌等有名的佛教遗迹有很多都是伫立在边境的。而平泉的不一般在于,它从未被人遗忘,或者说从未经历过生死浩劫。“五月雨纷纷,光堂明媚生”,俳圣这首和歌中所吟诵的金色堂历经风雨仍不改其辉。 ▼東北が未曽有の災害に遭い、惨状を見たキーン氏が日本国籍の取得と永住を決めたその年、北の浄土は世界の宝になった。仏縁という言葉がふとよぎる。悠久を生きる平泉にいま一度、鎮魂と再生が託された。 ▼东北遭遇了前所未有的大灾难,而亲眼目睹此番情形的金氏决议申请取得日本国籍并永久居住于此,而在同一年,这片北方的净土也成了世界的瑰宝,“佛缘”一词忽然浮现在了笔者眼前。历史悠久的平泉又将再次承担起安魂以及振兴的重责。 中日对照
|
打印本文 关闭窗口 |