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天声人语中日对照:独立青松 生命永驻
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作者:佚名 文章来源:kekejp.com 点击数 更新时间:2020-3-29 18:33:43 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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▼昆虫記で知られるファーブルは『植物記』も書いている。切り倒された栗の木と会話をするくだりがあって、こんなふうに木が言う。「私は70歳になりますが、まだ5、600年は生きるつもりでした。忌まわしい斧(おの)さえなければ」。そして、樹皮からどっと涙を流した(平凡社刊、日高敏隆・林瑞枝訳から) ▼以昆虫记闻名于世的法布尔也曾写过《植物记》。其中有一段和被砍倒的板栗树的对话,树这样说到,“虽然我已经70岁了,但还想再活五、六百年,要是没有这可恶的斧子”。说着说着,眼泪就从树皮上流了下来。 ▼むろんファーブルの想像だが、樹木はおのれの姿をもって、人に何かを語ることがある。岩手県陸前高田市の奇跡の一本松も、あの日以来、声なき言葉を多くの胸に届かせてきた ▼当然,这仅仅是法布尔的想象,他以树木本身的姿态,想对人说些什么,正如岩手县陆前高田市的那棵奇迹般的独立松,这些日子以来一直向人们传达无声的话语。 ▼樹齢270年というから、芽を出したのは徳川の8代将軍吉宗のころだ。忌まわしい波さえなければ、と涙しただろうか。白砂青松の仲間7万本は倒れ、望みもしなかったろうに、日本一有名な木になった ▼据说已经有270年的树龄,当它萌芽的时候正是德川第8代将军吉宗的时代。或许它也会流着泪说要是没有这可恶的海啸……。白砂青松的同伴倒下了7万株,虽然应该没有什么奢望,但毕竟它成了日本最有名的一棵树。
▼4月ごろはまだ青々としていた。しかし海水で根が腐って立ち枯れていった。そして先ごろ、蘇生が断念された。O・ヘンリーの名短編「最後の一葉」ならぬ「最後の一木」として、被災地を励ましつつ力尽きていく ▼4月那阵它还是郁郁葱葱的,可是由于海水的浸泡,最终因根部发生腐烂而成了一株站干。不久前人们也放弃了使之复苏的计划,并非是欧亨利的著名短篇小说《最后一片叶子》而是作为“最后一棵树”,继续为鼓舞灾区而竭尽全力。 ▼まど・みちおさんの「木」という詩が、ふと重なる。〈木が そこに立っているのは/それは木が/空にかきつづけている/きょうの日記です/あの太陽にむかって……一日(いちじつ)一ときの休みなく〉。震災このかた、空に書かれる日記を人は読んできた ▼我突然把道雄先生那首名为《树》的诗和它联系在了一起。“树啊,之所以站在那里,是因为一直在天空上写着。今天的日记。面对太阳……没有一日停歇”。地震以后,人们读到了它留在天上写的日记。 ▼枯死はつらいが命はつながる。一本松の松ぼっくりの種子から18本の苗が育っている。日記を書くのは遠い先だが、光を見る。親のように勁(つよ)くあれと、若い命に願いながら。 ▼枯死的结局虽然令人痛惜,可它的生命却将要延续。用从这棵独立松的松果中采集的种子培育出的18株幼苗正在茁壮成长。虽然离他们写日记的日子还很远,但还是能够看到希望。期待年轻的生命像其父亲那般坚强的活下去……。
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