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我是高中生

作者:望月敦子 文章来源:HIDAMARI 点击数 更新时间:2004-8-22 5:21:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

此稿是望月敦子同学参加第十五届全日本中国语讲演大赛(日中友好协会全国本部于一九九七年十一月主办)的讲演稿的原文。参赛的都是从各地区预赛中选拔出来的最优秀选手。望月同学作为静冈县代表参赛,并在从高中生到六十岁的共二十名选手中,夺得了国际文化交流中心奖。此奖是国际文化交流中心从一九八九年举办的第七届大会以来为了鼓励青少年学习中文而设。

我是高中生。现在我是高中4年级的学生。大概你们觉得奇怪为什么高中四年级?”因为我的学校是学分制高中,学制很独特。学生们可以根据自己的兴趣自主地选择学科。大多数的同学读完三年,就毕业了。但是因为我除了对学科的感兴趣外,还对其他的事情感兴趣。所以我选择了四年的高中生活。我在高中生活中遇到了很多有意义的事。

其中,最有意义事就是哑语。我高中的入学考试非常特别,要求每个人要表现自己的个性。于是,我用初中时学过的哑语讲话。哑语是聋哑人的语言。用哑语说话我是头一次,我觉得非常愉快。因此我想更好地深造哑语技术。在高中一年级的时候,在有关方面安排下我当了演讲会的翻译。哑语翻译很难,我常常感到灰心丧气。但是有的聋哑人对我说:“你长进了,你的翻译比以前好。有人说:“我喜欢你的哑语,加油!”我听了,觉得很受鼓励。以前我听过这样的话:“学习哑语的人应该站在聋哑人一方。通过两手的哑语翻译和学习,我领悟到学习哑语的人应充分体会别人的想法,不应该以自我为中心。哑语的学习,使我自己的高中生活充满了温馨柔和的气息。

在高中生活中另一件有意义的事情就是汉语。我的学校是静冈县最早教汉语的高中。因为我很喜欢学习外语,就选择了汉语课。可是汉语课很难。最初我犯了很多错误。比如,用英文的方式朗读拼音,无法区别中国的简体字和日本的汉字。能不能坚持下来?我常常感到不安。但是,我被中国强大的魅力吸引住了。我开始感到只在学校里学习是不够的,要去外边的学习单位学习汉语。我学汉语学了三年了,今年暑假我终于去了中国。在中国也遇到了很多有意义的事。中国的大学生笑着对我说:“日本对中国的战争虽然是一段不好的历史,可是我们还是好朋友!”我觉得很高兴。当我买糖果时自由市场的妇女对我说:“欢迎日本朋友─”我又觉得非常高兴。中国人非常热情大方、中国地大物博。耳闻目睹,我对中国更加喜欢了。汉语让我的思想国际化,又使我对将来充满了梦想。

“我是高中生。”只剩下几个月还可以这样说了。我马上就要毕业了。我的高中生活比其他的同学多一年,可是我比他们收获更大。现在日本大多数的高中好象是为了考中大学的补习班。而我们的高中目标是锻炼个性,向时代挑战。这也是我的人生目标。我的高中生活是在遇到很多有意义的事的基础上渡过的。我感到其乐无穷。我永远怀念这四年有意义的高中生活。

私は今、高校4年生です。「どうして4年生なのか」と不思議に思われるかもしれません。私の高校は単位制高校といって、自分の進路や興味に合わせて勉強できる学校です。ほとんどの生徒は3年間で卒業しますが、私は学業のほかにも挑戦してみたいことがあったため、4年間のコースを選びました。4年間の高校生活は私にたくさんの出会いを与えてくれました。

その大きな出会いのひとつは手話です。私の高校の入試はとてもユニークで、自分の個性をアピールする場があります。私は中学生の時に習い始めた手話でスピーチを行いました。手話とは耳の聞こえない人たちの言語です。手話で自分の考えを表現するのは初めてでしたが、それは非常に楽しい経験でした。手話をもっと学びたいと思うようになった私は、高校1年の秋から2年間、講演会などの手話通訳をさせていただくことになりました。思うように通訳できず、落胆することも度々ありました。けれど、聾唖者が「上手になったね」「あなたの手話が好きだよ」といって下さった時、手話をやっていて本当に良かった、と心が熱くなりました。「手話を学ぶ人は聾唖者の味方にならなければならない」と聞いたことがあります。私は手話を通して、相手が必要としていることに敏感でなければいけないこと、自分中心に物事を考えてはならないことを学びました。手話との出会いは私の高校生活に暖かさと優しさを与えてくれたのです。

そして高校での最大の出会い、それは中国語です。私の学校は、静岡県で初めて授業に中国語を取り入れた高校です。語学の好きな私は、さっそく中国語の授業を受け始めました。しかしピンインを英語読みしてしまったり、簡体字と日本の漢字の区別がつかなかったり・・・・・・。中国語の授業は難しく、一体これで続くのだろうかと不安になりました。けれど次第に中国のもつ強大な魅力に引きつけられた私は、高校の授業だけではもの足りなくなり、中国語講座にも通い始めるようになったのです。中国語を学び始めて3年たった今年の夏休み、私はついに中国に行くことができました。そこでもたくさんの出会いがありました。「日本と中国の間には悲しい歴史があるけれど、私たちは親友だよ」といって笑いかけてくれた中国人の大学生。お菓子を買った時「日本の友達、ようこそ!」と歓迎してくれた自由市場の女の人。中国人のもつ温かさ、中国の自然の雄大さ、私はそのすべてが大好きになりました。中国語は私の考え方を国際化し、将来の夢を与えてくれたのです。

「私は高校生」こう言えるのもあと数ヵ月です。他の友達と比べて1年間余分に高校生活を送った私ですが、想像以上の収穫があったことに満足しています。日本の高校の多くは、大学に合格するための予備校のような存在です。しかし私の高校の目標は「個性を磨き、時代に果敢に挑戦すること」であり、これは私の生涯の目標でもあるのです。私の高校生活は様々な出会いによって築かれました。私は4年間の有意義な高校生活を決して忘れないでしょう。

 

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