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時制に関する問題
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作者:加納陸人 文章来源:HIDAMARI 点击数 更新时间:2004-8-22 4:29:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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問: 高校教科書『日語』の本文に以下の文が出てきます。 答: 質問はテンス(時制)に関係する問題です。質問に答える前にテンスについてちょっと考えてみましょう。次の文を見てください。 この例文でわかることは、dのように時を表す「明日」をつけても、動詞が基本形「食べる」でないと未来を表すことができないことです。同様にbでは「昨日」があっても過去形「食べた」がないと過去の意味を表すことができません。②の「ある」は現在を表しています。「食べる」のような動作動詞の基本形は、「未来」を表し、「ある」のような状態動詞の基本形は「現在」表すと考えられます。つまり、テンスの区別は、動詞の部分によって基本的に表されていると言えます。 しかし、動詞の基本形は、すべて現在や未来を表しているのではありません。例えば、次のような例があります。 (7)は以前名前を聞いていたのに、忘れてしまい、もう一度尋ねる時に言います。(8)は何かを探していて、見つかり、それが眼前にある時の言い方です。(12)は現在の時点での感謝の気持ちが確かなものであるという話者の意識を表しています。動詞の過去形を使うことによって、話し手の意図や気持ち、意識を表そうとしているのです。 では、質問にあるように過去のことを表している文なのに、どうして基本形を使っているのでしょうか。もちろん、「いませんでした」「解けませんでした」「出ませんでした」を使っても不自然ではありません。しかし、書き手の立場から言うと、文章の効果をねらっていることが理由として挙げられます。このような手法は、小説や物語などに多く見られます。(1)の場合、過去に行われた登山競技をスタートから描き、「少年選手が突然倒れました」⇒「だれもいません」⇒「お互いの顔を見ました」となっています。これは書き手がその場にいて、見た様子をそのままに描いている臨場感が感じられます。(2)は物語ですが、「だれも解けませんでした」より「解けません」としたほうがよりその場の雰囲気が伝わってきます。(3)も同様です。この文では、だれも電話に出ない状態がポイントになって場面が展開されていきますので、過去形にするよりも効果的です。これらはどの位置から事態を眺めるか、書き手の視点が入っていると言えます。
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