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2004年7月23日の「天声人語」
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作者:鱼鱼 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2004-8-14 8:00:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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贯通会员翻译讨论作品,仅供参考,如果想参与讨论请登陆论坛天声人语版块。 「ウエルカム・ホーム(お帰りなさい)アンヘロ!」。そう書かれた横断幕が、フィリピンに帰り着いた元人質のデラクルスさんを迎えた。まるで、英雄の帰還のような歓迎ぶりだったという。 “欢迎回来”打着这样的横幅欢迎安全回到菲律宾的原人质克鲁斯。简直像欢迎凯旋归来的英雄一样。 実際、アロヨ大統領は、デラクルスさんのような海外への出稼ぎ者を「現代の英雄」と呼ぶ。その送金が国内総生産の約1割にもなる800万人と、家族の重みは、日本では計り知れないほど大きいのだろう。しかし今回の撤退は米国などから厳しい批判を浴びた。 实际上,阿罗约总统把向克鲁斯一样远出海外赚钱的人称为“现代的英雄”。(他们)邮回来的汇款大约占国内生产总值的十分之一,800万人及其家人的比重即使是在日本也是无法无法估计的。但是这次撤军遭到美国等严厉的批判。 「アロヨ大統領が急いでテロ組織の要求に応じたことに、同盟諸国はもちろん誘拐犯らさえもうろたえただろう」。ニューヨーク・タイムズ紙の皮肉を込めた社説だ。フィリピンでは、これらの批判を批判する論調が目立つという。「現代の英雄」には「自己責任論」も無縁のようだ。 “阿罗约总统如此匆忙的答应恐怖组织的要求,其它同盟国自然对绑架犯们也惊慌失措”纽约泰晤士时报的社论持挖苦道。还报道了菲侓宾批判这样的批判的论调很引人注目,似乎“现代的英雄”与“个人责任论”无关。 同じ「英雄」でも、「国民的英雄」あるいは「民族の英雄」と呼ばれているのがホセ・リサールだ。植民地だった19世紀、言論活動でスペインを批判し、35歳で処刑される。医師で小説や詩を残した。 同样的“英雄”,被称为“国民的英雄”或“民族的英雄”的ホセ・リサール。19世纪还是植民地时,(他)通过言论活动批判西班牙、35岁被处死。作为医生的他留下了精美的诗篇和小说。 「私の墓の十字架の上に一羽の小鳥のくるのを見たら/平和のうたをうたわしめよ」。銃殺の前に妹に託したという「最後の訣別」の一節だ(『ホセ・リサールと日本』アポロン社)。 “如果在我坟墓的十字架上看到一只小鸟,那是在高唱和平之歌”在被枪决前委托给妹妹的“最后的訣别”中的一段(“ホセ・リサール与日本”阿波罗社) 国外退去勧告を受けて、明治21年に日本に立ち寄ったことがある。2カ月足らずだったが、日本と日本人に、深く共感したという。その滞在を記念した胸像が、東京・日比谷公園にある。祖国と米国との間柄や、この撤退について、尋ねてみたい気がする。 (他)于明治21年日本路过日本,接受退出国外的劝告。虽然不足两个月的时间,日本和日本人民都深有感触,为了记念那段他在日的那段时间,(他的)雕像竖立在东京的日比谷公园里。(他)一直不断的思考祖国和美国之间的关系,并为了此次撤退寻找机会。
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