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论坛的朋友们能不能抽空帮我修改一下呢?先谢谢了
「伊豆の踊子」
署名:「日本近現代文学」
出版社名:大連理工大学出版社
出版年:2000年8月
社会下層の女性への賛美
川端先生の「伊豆の踊り子」を読み終わると、すぐ頭の中に美しく、優しい少女の姿を浮かび出した。「伊豆の踊り子」は作者二十歳の時の実際の体験に基づいて書かれ、大正十五年「文芸時代」に発表しものだ。先生の筆で踊り子に対する描写は極細かく、踊り子の振り舞、行動、表情の描写を通して、踊り子の人柄、性質がすぐ分かる。「伊豆の踊り子」の「一」の部分、峠の茶屋の出会いで、「突っ立っている私を見た踊り子がすぐに自分の座蒲団を外して、裏返しに傍へ置いた...」、「踊り子がまた連れの女の前の煙草盆を引き寄せて私に近くしてくれた。」とあるところから、古風な礼譲を身に付けている踊り子の女性像が生き生きと出てくる。それに「四」の「彼女は眩しそうにくるりと寝返りして、掌で顔を隠したまま、蒲団をすべり出ると廊下に坐り、『昨夜...』と綺麗なお辞儀をして」など、その例は少なくない。「踊り子の礼譲は、単なる古典的ないし浪漫的な美である以上に、いわば、このうたかたの世における命の象徴であった。その礼譲が脆く、うつろい易い生命を立ち止まらせ、塑像化する」①確かにその踊り子は芸人として住所不定、人人に軽蔑され、卑しい生まれで悲惨に一生を送るかもしれない。作者は「好奇心もなく、軽蔑も含まない、彼等が旅芸人という種類の人間であることを忘れてしまったような、私の尋常な好意は彼等の胸にも沁み込んで行くらしかった」、深い同情を寄せる。
また「伊豆の踊り子」の中で、踊り子は美しい少女としての描写私に印象付ける。小説の「一」の「踊り子は十七くらいに見えた。私には分からない古風の不思議な形に大きく髪を結っていた。それが卵形の凛々しい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和していた。」また「四」の「私はそれを見ていたのだった。この美しく光る黒目がちの大きい眼は踊子の一番美しい持ち物だった。二重瞼の線が言いようなく綺麗だった。それから彼女は花のように笑うのだった。花のように笑うと言う言葉が彼女には本当だった。」それは踊子は外貌の美しさの描写とはいえ、むしろ心の美しさの描写だ。踊子は利口で、作者と五目並べをやる時、不思議に強かった。踊子は賢い、楽観的な性格を持つ。そんな重たい太鼓をもって打つのは、「痛くない」と答え、また「それは貴方の思っているより重いわ。貴方のカバンより重いわ」と私に冗談を言った。踊子は作者への朦朧な恋を大事にする。作者は帰っていた時にわざわざ見送りにいた。「七」の「乗船場に近づくと、海際にうずくまっている踊子の姿が私の胸に飛び込んだ。傍に行くまで彼女はじっとしていた。黙って頭を下げた。」彼女の心に離別の悲しみが溜まった。
作者は「少年」に「旅情とまた大阪平野の田舎しか知らない私に伊豆の田舎の風光とが、私の心を緩めた。そして踊子に会った。いわゆる旅芸人根性などとは似もつかない、野の匂いがある正直な好意を私は見せたれた。いい人だと踊子が言って、兄嫁が肯った一言が、私の心にぼたりと清清しく落ちかかった。」とあたりに、作者がむずから「孤児根性」と言う精神的病弱からの快癒への感謝、また踊子への感謝を寄せる。
社会の下層における女芸人の「伊豆の踊子」は悲惨な生活、卑しい生まれだが、心の優しさ、美しさが人々に尊敬すべきだ。彼女たちもゆたかな生活が憧れ、美しい恋が憧れ、立派な芸術を追求し、前向きな生活態度を持って、模索続けている。彼女たちも素晴らしい女性だ。
①間良一「伊豆の踊子」 有精堂