「そんなら迅ちゃん、お前さんに言うがね。お前はお金持になったんだから、引越しだってなかなか御大層だ。こんな我楽多道具なんか要るもんかね。わたしに譲っておくれよ、わたしども貧乏人こそ使い道があるわよ」 「わたしは決して金持ではありません。こんなものでも売ったら何かの足しまえになるかと思って……」 「おやおやお前は結構な道台さえも捨てたという話じゃないか。それでもお金持じゃないの? お前は今三人のお妾さんがあって、外に出る時には八人舁きの大轎に乗って、それでもお金持じゃないの? ホホ何と被仰ろうが、私を瞞すことは出来ないよ」 わたしは話のしようがなくなって口を噤んで立っていると 「全くね、お金があればあるほど塵ッ葉一つ出すのはいやだ。塵ッ葉一つ出さなければますますお金が溜るわけだ」 コンパスはむっとして身を翻し、ぶつぶつ言いながら出て行ったが、なお、行きがけの駄賃に母の手袋を一双、素早く掻っ払ってズボンの腰に捻じ込んで立去った。 そのあとで近処の本家や親戚の人達がわたしを訪ねて来たので、わたしはそれに応酬しながら暇を偸んで行李をまとめ、こんなことで三四日も過した。 非常に寒い日の午後、わたしは昼飯を済ましてお茶を飲んでいると、外から人が入って来た。見ると思わず知らず驚いた。この人はほかでもない閏土であった。わたしは一目見てそれと知ったが、それは記憶の上の閏土ではなかった。身の丈けは一倍も伸びて、紫色の丸顔はすでに変じてどんよりと黄ばみ、額には溝のような深皺が出来ていた。目許は彼の父親ソックリで地腫れがしていたが、これはわたしも知っている。海辺地方の百姓は年じゅう汐風に吹かれているので皆が皆こんな風になるのである。彼の頭の上には破れた漉羅紗帽が一つ、身体の上にはごく薄い棉入れが一枚、その著こなしがいかにも見すぼらしく、手に紙包と長煙管を持っていたが、その手もわたしの覚えていた赤く丸い、ふっくらしたものではなく、荒っぽくざらざらして松皮のような裂け目があった。 わたしは非常に亢奮して何と言っていいやら 「あ、閏土さん、よく来てくれた」 とまず口を切って、続いて連珠の如く湧き出す話、角鶏、飛魚、貝殻、土竜……けれど結局何かに弾かれたような工合になって、ただ頭の中をぐるぐる廻っているだけで口外へ吐き出すことが出来ない。 彼はのそりと立っていた。顔の上には喜びと淋しさを現わし、唇は動かしているが声が出ない。彼の態度は結局敬い奉るのであった。 「旦那様」 と一つハッキリ言った。わたしはぞっとして身顫いが出そうになった。なるほどわたしどもの間にはもはや悲しむべき隔てが出来たのかと思うと、わたしはもう話も出来ない。 彼は頭を後ろに向け 「水生や、旦那様にお辞儀をしなさい」 と背中に躱れている子供を引出した。これはちょうど三十年前の閏土と同じような者であるが、それよりずっと痩せ黄ばんで頸のまわりに銀の輪がない。 「これは五番目の倅ですが、人様の前に出たことがありませんから、はにかんで困ります」 母は宏兒を連れて二階から下りて来た。大方われわれの話声を聞きつけて来たのだろう。閏土は丁寧に頭を低げて 「大奥様、お手紙を有難く頂戴致しました。わたしは旦那様がお帰りになると聞いて、何しろハアこんな嬉しいことは御座いません」 「まあお前はなぜそんな遠慮深くしているの、先にはまるで兄弟のようにしていたじゃないか。やっぱり昔のように迅ちゃんとお言いよ」 母親はいい機嫌であった。 「奥さん、今はそんなわけにはゆきません。あの時分は子供のことで何もかも解りませんでしたが」 閏土はそう言いながら子供を前に引出してお辞儀をさせようとしたが、子供は羞しがって背中にこびりついて離れない。 「その子は水生だね。五番目かえ。みんなうぶだから懼がるのは当前だよ。宏兒がちょうどいい相手だ。さあお前さん達は向うへ行ってお遊び」 宏兒はこの話を聞くとすぐに水生をさし招いた。水生は俄に元気づいて一緒になって馳け出して行った。母は閏土に席をすすめた。彼はしばらくうじうじして遂に席に著いた。長煙管を卓の側に寄せ掛け、一つの紙包を持出した。 「冬のことで何も御座いませんが、この青豆は家の庭で乾かしたんですから旦那様に差上げて下さい」 わたしは彼に暮向のことを訊ねると、彼は頭を揺り動かした。 「なかなか大変です。あの下の子供にも手伝わせておりますが、どうしても足りません。……世の中は始終ゴタついておりますし、……どちらを向いてもお金の費ることばかりで、方途が知れません……実りが悪いし、種物を売り出せば幾度も税金を掛けられ、元を削って売らなければ腐れるばかりです」 彼はひたすら頭を振った。見ると顔の上にはたくさんの皺が刻まれているが、石像のようにまるきり動かない。たぶん苦しみを感ずるだけで表現することが出来ないのだろう。しばらく思案に沈んでいたが煙管を持出して煙草を吸った。 母は彼の多忙を察してあしたすぐに引取らせることにした。まだ昼飯も食べていないので台所へ行って自分で飯を焚いておあがりと吩付けた。 あとで母とわたしは彼の境遇について歎息した。子供は殖えるし、飢饉年は続くし、税金は重なるし、土匪や兵隊が乱暴するし、官吏や地主がのしかかって来るし、凡ての苦しみは彼をして一つの木偶とならしめた。「要らないものは何でも彼にやるがいいよ。勝手に撰り取らせてもいい」と母は言った。 午後、彼は入用の物を幾つか撰り出していた。長卓二台、椅子四脚、香炉と燭台一対ずつ、天秤一本。またここに溜っている藁灰も要るのだが、(わたしどもの村では飯を焚く時藁を燃料とするので、その灰は砂地の肥料に持って来いだ)わたしどもの出発前に船を寄越して積取ってゆく。 晩になってわたしどもはゆっくり話をしたが、格別必要な話でもなかった。そうして次の朝、彼は水生を連れて帰った。 九日目にわたしどもの出発の日が来た。閏土は朝早くから出て来た。今度は水生の代りに五つになる女の児を連れて来て船の見張をさせた。その日は一日急がしく、もう彼と話をしている暇もない。来客もまた少からずあった。見送りに来た者、品物を持出しに来た者、見送りと持出しを兼ねて来た者などがゴタゴタして、日暮れになってわたしどもがようやく船に乗った時には、この老屋の中にあった大小の我楽多道具はキレイに一掃されて、塵ッ葉一つ残らずガラ空きになった。 船はずんずん進んで行った。両岸の青山はたそがれの中に深黛色の装いを凝らし、皆連れ立って船後の梢に向って退く。 わたしは船窓に凭って外のぼんやりした景色を眺めていると、たちまち宏兒が質問を発した。 「叔父さん、わたしどもはいつここへ帰って来るんでしょうね」 「帰る? ハハハ。お前は向うに行き著きもしないのにもう帰ることを考えているのか」 「あの水生がね、自分の家へ遊びに来てくれと言っているんですよ」 宏兒は黒目勝ちの眼をみはってうっとりと外を眺めている。 わたしどもはうすら睡くなって来た。そこでまた閏土の話を持出した。母は語った。 「あの豆腐西施は家で荷造りを始めてから毎日きっとやって来るんだよ。きのうは灰溜の中から皿小鉢を十幾枚も拾い出し、論判の挙句、これはきっと閏土が埋めておいたに違いない、彼は灰を運ぶ時一緒に持帰る積りだろうなどと言って、この事を非常に手柄にして『犬ぢらし』を掴んでまるで飛ぶように馳け出して行ったが、あの纏足の足でよくまああんなに早く歩けたものだね」 (犬ぢらしはわたしどもの村の養鶏の道具で、木盤の上に木柵を嵌め、中には餌を入れておく。鶏は嘴が長いから柵をとおして啄むことが出来る。犬は柵に鼻が閊えて食うことが出来ない。故に犬じ[#「じ」はママ]らしという) だんだん故郷の山水に遠ざかり、一時ハッキリした少年時代の記憶がまたぼんやりして来た。わたしは今の故郷に対して何の未練も残らないが、あの美しい記憶が薄らぐことが何よりも悲しかった。 母も宏兒も睡ってしまった。 わたしは横になって船底のせせらぎを聴き、自分の道を走っていることを知った。わたしは遂に閏土と隔絶してこの位置まで来てしまった。けれど、わたしの後輩はやはり一脈の気を通わしているではないか。宏兒は水生を思念しているではないか。わたしは彼等の間に再び隔膜が出来ることを望まない。しかしながら彼等は一脈の気を求むるために、凡てがわたしのように辛苦展転して生活することを望まない。また彼等の凡てが閏土のように辛苦麻痺して生活することを望まない。また凡てが別人のように辛苦放埒して生活することを望まない。彼等はわたしどものまだ経験せざる新しき生活をしてこそ然る可きだ。 わたしはそう思うとたちまち羞しくなった。閏土が香炉と燭台が要ると言った時、わたしは内々彼を笑っていた。彼はどうしても偶像崇拝で、いかなる時にもそれを忘れ去ることが出来ないと。ところが現在わたしのいわゆる希望はわたしの手製の偶像ではなかろうか。ただ彼の希望は遠くの方でぼんやりしているだけの相違だ。 夢うつつの中に眼の前に野広い海辺の緑の沙地が展開して来た。上には深藍色の大空に掛るまんまろの月が黄金色であった。 希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。
(一九二一年一月)
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