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日语阅读:大丸松坂联手经营

作者:来源 文章来源:外语教育网 点击数 更新时间:2015-10-15 15:37:08 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

飢饉(ききん)に苦しむ窮民の救済策を建言して果たせず、大坂東町奉行所の元与力で陽明学者の大塩平八郎が兵を挙げたのは1837年(天保8年)のことである。一党は町に火を放ち、豪商の蔵を襲った


为陷入饥荒的贫苦人民向官方进言要求实施救済却遭到拒绝,于是,大坂東町奉行所属下的与力(译注:类似管理民政事务的警官)、阳明学派儒者大塩平八郎于1837年(天保8年)举兵起义。起义军在町内烧杀掠抢,袭击了富豪们的仓库。


「大丸は義商なり。犯すなかれ」。大塩の言葉で焼き打ちをまぬかれたと、大丸の社史にある。経営統合の交渉相手、松坂屋ホールディングスも歴史では負けていない


“大丸乃信义之商。勿犯之。”由于平八郎的这句话,大丸免于一场洗劫之难。——大丸商社的社史中如是记载。大丸的经营合并谈判对手、松坂屋控股公司的历史也与大丸不相上下。


こちらは織田信長の家臣だった伊藤蘭丸が1611年(慶長16年)、名古屋にひらいた呉服店に始まる。新撰組の土方歳三(ひじかたとしぞう)も上野店に奉公したことがあるという。いずれ劣らぬ老舗同士の縁談である


松坂屋的前身是織田信長的家臣伊藤蘭丸于1611年(慶長16年)在名古屋创办的和服绸布店。据说,新撰組(译注:幕府时期京都治安队)的土方歳三也曾在上野松坂店工作过。二者都是老字号名店,经营合并是门当户对的“亲事”。


独自の伝統と企業文化をもつ二つの百貨店が心を寄せ合ったのは、人口が減少し、市場が縮小していくなかで、統合による規模拡大に活路を求めてのことといわれる。ここにも少子化が影を落としている


据说,各自拥有独特传统和企业文化的两家百货店之所以心心相印,是因为他们想要在人口不断减少,市场日益缩小的形势下,从合并带来的规模扩大中,寻求一条活路。其中也受少子化问题的影响。


幕末の動乱、恐慌、敗戦、石油危機、バブル崩壊と、数々の苦難を乗り越えてきた老舗も、ひとりで生きていくのがむずかしい。人口減少のうねりとはそういうものなのだろう


历经幕府末期动乱、经济恐慌、二战失败、石油危机、泡沫经济瓦解等各种苦难的老铺,如今,再也难以孤军奋战了。人口減少的滚滚浪潮就是这样的情景吧。


俳人田川飛旅子(ひりょし)さんに「遠足の列大丸の中とおる」という句があった。浮き浮きとあたりを見回しながら売り場を抜けていく児童の列が目に浮かぶ。デパートとは子供を光源にしてきらきら輝く場所であったと、経済記事を読み終えて思う。


俳句诗人田川飛旅子写有这样一句:“远足队伍过大丸”。我的眼前浮现出兴高采烈的孩子们排着队,东张西望地穿过大丸商场的情景。百货是辉煌之地,它以孩子为光源。——读罢经济报道,我这样想。





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