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日语中关于母亲的那些称呼是怎么来的?(中日对照)
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作者:橘子译 文章来源:沪江 点击数 更新时间:2015-8-26 10:20:02 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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皆さんは、自分の母親を呼ぶときの呼称は何ですか。「おかあさん」でしょうか。「おふくろ」でしょうか。「ママ」とか「マミー」のかたもいますか?「おかあさん」が一番多いでしょうかね。この「おかあさん」という呼称ですが、今では普通ですが、時代劇とか大河ドラマでは、聞かないですよね。江や茶々が「お市」に対して「おかあさん~!!」なんて言っていませんでしたよね。確か「母上」だったかと・・・。 大家都是怎么称呼自己母亲的呢?是“おかあさん(妈妈)”,还是“おふくろ(妈、娘)”?是不是也有人会叫“ママ(妈妈)”或者“マミー(妈咪)”呢?我们用的最多的可能还是“おかあさん”这个词。虽说这称呼在当今社会非常普遍,但在时代剧或者大河剧里听不到吧。阿江、茶茶她们没有对着“阿市夫人”喊“妈妈~!!”对吧。我记得应该是“母亲大人”…… お母さん(おかあさん) 江戸時代以前の武家などの上流階級の妻(奥方)は、寝殿造りの「キタノカタ(北の方角)」の対屋に住んでいたため、方角を除いた形で「オカタサマ(御方様)」と呼ばれていました。この「オカタサマ」という呼称は他人の奥さんに対するものでしたが、夫が自分の妻に対して「オ」を除いて「カタサマ」と呼ぶようになり、それを子どもが真似て「カカサマ」「カアチャン」「カカ」「オッカア」となったという説があります。 关于“おかあさん”的语源有这么一说——在江户时期前,武家等上流阶层的妻子(夫人)住在寝殿造宅邸“キタノカタ(北面)”的配屋中,由此人们将“キタノカタ” 去掉方位词后尊称这些夫人们为“オカタサマ(御方様)”。这种称呼原是用在别家夫人身上的,男主人去掉了词首的“オ”、用“カタサマ”来称呼自己的妻子,孩子们则开始模仿这样的说法,于是有了“カカサマ”、“カアチャン”、“カカ”、“オッカア”这些称呼。 注:寝殿造(しんでんづくり)は、平安時代の都の高位貴族住宅の様式。寝殿(正殿)と呼ばれる中心的な建物が南の庭に面して建てられ、庭には太鼓橋のかかった池(遣り水)があり、東西に対屋(たいのや)と呼ばれる付属的な建物を配し、それらを渡殿(わたどの)でつなぎ、更に東西の対屋から渡殿を南に出してその先に釣殿(つりどの)を設けた。
据说到了江户末期,武家社会一直称呼母亲为“オカアサマ”、“カカサマ”,而庶民阶层则使用“オッカサン”、“オッカア”。进入明治时期后,等级制度被废除,社会上开始提倡通过学校教育统一母亲称呼。当时的《国定教科书》中记载着这样一句话,“妈妈(オカアサン),早上好”,推广“オカアサン”这一称呼被作为国策开始实行。但据说在一开始,这称呼对于原为武家的家庭来说,没有“オカアサマ”来得恭敬,而对于庶民家庭来说,它又比“オッカサン”来得生疏,凡此等等,“オカアサン”这一称呼花了相当长一段时间才被人们所接受。不过随着时间的推移,学校教育的影响也起了作用,于是这种称呼逐渐固定下来,并沿用至今。 「お母さん」は作られた言葉だったんですねえ。もし、教科書に「オッカア オハヤウゴザイマス」とあったら、私も「オッカア 腹減った」なんて言っていたんですよね。日本昔ばなしみたいですね。 原来“お母さん”是个造词啊。如果当时教科书上写的是“娘(オッカア) 早上好”,那我挂嘴上的可不就变成“娘 我饿了”嘛。这听起来倒像是日本民间故事了。 お袋(オフクロ) 男性が自分の母親の呼称として「お袋」といいますが、1603年の「日葡辞典」では、女性も使用するとあるんですよ。それが、現代では男性語となったわけです。 如今男性会用“お袋”来称呼自己的母亲,但据1603年的《日葡辞典》记载,女性也会使用该称呼。而到了现代,这个词变成了男性用语。 さて、その「お袋」という語の語源ですが、諸説あり、どれももっともなものばかりです。 说起来,关于“お袋”的语源其实版本很多,且无论哪个听起来都颇有道理。 ①まず、鎌倉時代後期にさかのぼります。母親は当時袋に入れて家庭の金銭、財産を管理していたことから「お袋」と呼ばれるようになった説。 ②江戸時代、女性の胎盤や子宮などを「フクロ」と呼んでいたからという説。 ③食事を作ることから「胃袋」からという説。 ④子どもが母親の懐(フトコロ)で育つということから、それが転じて、フトコロ→フクロになったという説。 ⑤豊臣秀吉の正室「おね」が「北政所」と呼ばれたように、奥さんが北の方角の屋敷に住んだことから、「お北堂(オホクドウ」が転じて「オフクロ」となった説。 ①首先要追溯到镰仓后期。据说当时的母亲把家里的财产装入袋(フクロ)中管理,由此延伸出了“お袋”这个称呼。 ②有说法认为,由于在江户时期,人们把女性的胎盘以及子宫等称作是“フクロ”,所以得此名。 ③也有说法认为,母亲负责家庭饮食,所以从“胃(イブクロ)”一词延伸而来变成了“お袋”。 ④还有说法认为,孩子是在母亲怀中(フトコロ)长大的,因此“フトコロ”一词通过变形成了“フクロ”。 ⑤另有一说指出,正如人们称呼丰臣秀吉的正室“阿宁”为“北政所”那样,阿宁夫人当时住在北面宅院中,之后由“お北堂(指北侧居室)”一词延伸开来,有了“オフクロ”这一称呼。 こんなにも説があるんですね。何気ない日常の言葉でも、使われ方の歴史的変遷や、由来、語源の説の多さからみると奥深いですよね。みなさんは、何番だと思いますか? 原来有如此多的说法啊。平时无意间用着的这些日常用语,若从它们用法的历史变迁、由来及诸多语源来看其实颇为深奥嘛。大家相信哪种说法呢?
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