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日本文化:日本酱油的起源和制造(中日对照)

作者:佚名 文章来源:伝統蔵 点击数 更新时间:2015-4-22 14:43:22 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

日本の食文化を築いてきた代表的で伝統的な醸造食品が「日本酒」「醤油」「味噌」です。 今回は鎌倉時代の禅僧がもたらした醤油の起源と製法の話をご紹介します。


构建起日本饮食文化的,最有代表性的传统酿造食品是“日本酒”“日本酱油”和“日本味增酱”。这次为大家介绍一下由镰仓时代的禅僧带给日本的“日本酱油”的起源和制作方法。


醤油の起源


日本で醤油が誕生したのは鎌倉時代の事です。禅宗の僧侶であった覚心〔かくしん〕という人物が中国から持ち帰った味噌の製法を人々に伝授している時に、たまたま仕込みの間違いで水分の多い味噌ができてしまい、その水分を舐めてみたらとてもおいしかった、というのが始まりです。これ以降、わざと水分の多い味噌を作るようになり、今の「たまり醤油」に近いものが生産されるようになりました。一般庶民に醤油が広まったのは、各地で醤油生産が行われるようになった戦国時代から江戸時代にかけての事です。当時、文化の中心であった上方(近畿地方)で生産される醤油は高級品とみなされ、江戸へ運ばれていました。しかし次第に江戸の町民文化の下でより味が濃く香り高い「江戸前しょうゆ(現在の「こいくち醤油」)」が作られるようになり、明治時代以降「こいくち醤油」が全国的に広まりました。「こいくち醤油」の普及により醤油は庶民の食生活に欠かせないものになりました。現在では日本の伝統的な調味料として世界各国に輸出されています。


在日本,酱油诞生于镰仓时代。禅僧觉心从中国带回了味增的制法,在向人们传授该制法时,因配料错误偶然制成了水分较多的味增,尝过那些水分后,发现竟非常的美味,于是开始了酱油的历史。其后,开始特意制作水分多的味增,生产近似于如今的“溜酱油”的东西。从战国时代到江户时代各地开始生产酱油,这时酱油也进入寻常百姓家。当时,在文化的中心上方(近畿地区)生产的酱油被视为高级品,被运到江户。但逐渐的,在江户的市民文化之下产生了味道更浓更香的“江户前酱油(现在的‘浓口酱油’)”,明治时代以后“浓口酱油”扩展到全国各地。“浓口酱油”的普及使得酱油成为百姓饮食生活中不可欠缺的调味料。现在则作为日本的传统调味料出口到世界各国。


本醸造による濃口醤油の製法


『一 麹、ニ 櫂(かい)、三 火入れ』ともいわれるのが醤油造りです。醤油の中でも最も多く造られている濃口醤油の製造工程について、マルキン忠勇の天然醸造蔵で造る醤油を例にご紹介します。


種麹、大豆、小麦の混合と製麹


原料の大豆は水に浸して十分に水をしみこませて、圧力をかけて蒸します。また、 小麦は炒ったあとに細かく砕かれます。これら大豆、小麦と種麹を混ぜ合わせ、麹菌がよく生育するように温度と湿度を調整し、麹の温度を調節するため「手入 れ」を行い、約45時間で麹ができあがります。


仕込み、攪拌、熟成もろみ


でき上がった麹には食塩水が加えられ、天然醸造蔵に仕込まれ『もろみ』となります。醸造中は発酵を促すためにもろみはよくかき混ぜられます。そして約1年後に『熟成もろみ』となります。


圧搾、生澄まし、火入れ


熟成したもろみは布に広げられて重ねられ、上に重りをのせて大きな力でゆっくりと約40時間かけて醤 油が搾られていきます。搾られた生醤油は澄まされ、さらに醤油の仕上げ段階といえる『火入れ』を行い、濾過されて醤油ができ上がります。この後に、品質検 査などを経て容器に詰められ、醤油製品として完成します。


※参考資料:


「醸造学」野白喜久雄・小崎道雄・好井久雄編著 講談社


「醤油 至宝の調味料1」アスペクト編 アスペクト





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