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日本民间故事:为救村子牺牲的甚五郎(日汉对照)
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作者:辛浩 文章来源:weilan.com.cn 点击数 更新时间:2015-4-12 10:50:38 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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江戸時代、但馬(たじま)の豊岡(とよおか)と、出石地方(いずしちほう)の田んぼは、井せきをつくって、そこから水を引いていたそうです。 听说在江户时代,但马的丰岗和出石地方的田地都是做堤坝,然后引水灌溉的。 その水によって、その年の稲作の良し悪しが決まるので、水の確保はとても大切でした。 那水决定着这一年稻作的好坏,所以水的确保显得尤为重要。 新田井(にったい) せきもそのひとつで、井をせき止めする日には奉行まで出てきて、不公平が無いように監督をしていたといわれています。 新田堤堰也是其中之一,在拦河的那一天,按照上级命令,要求监督好不出一点差错。 そのため井せきのほとりには番小屋までつくられて、夜も昼も厳重な監視が続けられたのです。 所以堤坝旁边建了看守人住的小屋,日以继夜得严格看守着。 ところが、ひとつ困った事がありました。 可是,却有件事让人头痛不已。 新田井せきが止められると水かさが増すので、伊豆村(いずむら)は水につかってしまうのです。 要是把新田堤坝堵住的话,水量就会增加,会把伊豆村淹掉。 村人たちは毎年のように役人にかけあうのですが、いっこうに取り合ってはくれません。 村民每年都会向官员反应,可是却完全没有被受理过。 そんなある日の事、この村の百姓で甚五郎(じんごろう)という男が、何を思ったのかサンダワラ(→わらで作った米俵のふた)を持って川へ出かけて行きました。 有一天,这个村子里一个叫甚五郎的男人好像突然想到什么一样,拿着米袋两端的圆盖子(用稻草做的米袋的盖子)向河流那里跑去。 その頃、新田井せきでは相変わらず番人が、厳しい監視を続けています。 那时候,在新田堤坝那里,看守人还是像往常一样严格看守着。 すると上流の方からサンダワラが流れて来て、水をせき止めてある土俵にあたったのです。 然后从河流上方流过来米袋盖子,撞到了土袋子。 するとわらで作られた軽いサンダワラなのに、土俵がくずれて水が流れ出したではありませんか。 可是明明是用稻草做的很轻的米袋盖子,却撞到了土袋子,让水流了出来。 番人は、びっくりです。 看守人大吃一惊。 そしてそのサンダワラは、来た道をさかのぼって、上流へと帰って行くではありませんか。 而且那米袋盖子正顺着来时候的道路往上流回去。 「サンダワラが、流れに逆らって上流へ行くとはおかいしい。???さては!」番人は鉄砲をとると、サンダワラめがけて、ドスン!と、撃ちました。 “米盖子逆流而上真是太奇怪了。???莫非是!”看守人举起了抢,瞄准米袋盖子,砰得开了枪。 すると、川の水はみるみるまっ赤に染まって、サンダワラを頭にくくりつけた甚五郎の死体が浮いたのです。 然后河水看着就被染成了红色,用头顶着米袋盖子的甚五郎的尸体浮了上来。 知らせを聞いて駆けつけた村人たちは、「バカじゃのう。下へ流れていれば助かったのに」と、いいながら、村のために死んだ甚五郎に涙したのです。 闻讯赶来的村民们虽然嘴上说着:“真笨啊。要是往下游就可以得救的嘛”,一边还是对为村子而死的甚五郎流了眼泪。 その後、村では甚五郎を手厚くとむらい、毎年うら盆がくると、田んぼに美しいまんとうの火がともされるのだそうです。 听说之后,村子里厚葬了甚五郎,每年盂兰盆会时,都会在田地里点起美丽的长柄纸灯笼。
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