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鲁迅《幸福的家庭》(日汉对照)(一)

作者:佚名 文章来源:weilan.com.cn 点击数 更新时间:2015-4-10 21:13:20 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

「……するもしないも全く自分の勝手だが、作品というからには、鉄と石とカチ合って出来た火花のようなものでは駄目だ。あの太陽の光のように無限の光源の中から湧き出して来たようなものが、これこそ真の芸術だ。その作者こそ初めて真の芸術家だ。そうして乃公(おれ)は……それしきのことが何だ……」


彼はそこまで考えると、いきなりベッドから跳起(はねお)きた。彼はずっと前から、原稿料で生活をして行(ゆ)きたいと考えていたが、投稿するなら、まず幸福日報社が好かろうと規(き)めていた。そこは比較的に稿料を余計に呉(く)れるからだ。しかし、作品には一定の範囲があるから、その範囲を越えれば没書になる恐れがある。範囲も範囲だが……現代の青年の脳裏にある大問題は? なかなか少くなさそうだ。いやどっさりあるかもしれない。恋愛、結婚、家庭などと来ては。……そうだ、この点についてはたしかに多くの人が悩んでいて、ちょうど今いろいろ討論中である。では家庭を書いてみよう。それはそうとどんな風に書こうかな……そうしなければ没書になる恐れがあるし、わざわざ時勢に背く必要もない。それはそうと……彼はベッドから跳上(はねあが)ると、五六歩進んでテーブルの前に行(ゆ)き、緑罫の原稿用紙を一枚取ると、ぶっつけに、やや自棄(やけ)気味にもなって、次のような題を書いた。 「幸福な家庭」


“……做不做全由自己的便;那作品,像太阳的光一样,从无量的光源中涌出来,不像石火,用铁和石敲出来,这才是真艺术。那作者,也才是真的艺术家。——而我,……这算是什么?……”他想到这里,忽然从床上跳起来了。以先他早已想过,须得捞几文稿费维持生活了;投稿的地方,先定为幸福月报社,因为润笔似乎比较的丰。但作品就须有范围,否则,恐怕要不收的。范围就范围,……现在的青年的脑里的大问题是?……大概很不少,或者有许多是恋爱,婚姻,家庭之类罢。……是的,他们确有许多人烦闷着,正在讨论这些事。那么,就来做家庭。然而怎么做做呢?……否则,恐怕要不收的,何必说些背时的话,然而……。他跳下卧床之后,四五步就走到书桌面前,坐下去,抽出一张绿格纸,毫不迟疑,但又自暴自弃似的写下一行题目道:《幸福的家庭》。


だが、彼の筆はたちどころに渋った。彼は仰向になって両眼を屋根裏に(みは)りながら、「幸福の家庭」の置場を考えてみた。「北京は? 駄目だ。全く沈み切ってしまって空気までも死んでいる。よしんば家庭のまわりを高塀が、ぐるりと囲んでいるにもせよ、まさか空気を遮断することは出来まい。つまり駄目だ! 江蘇浙江(こうそせっこう)は毎日戦争の防備をしているし、福建(ふくけん)と来たらなおさら盛んだ。四川(しせん)、広東(カントン)は? ちょうど今戦争の真最中だし、山東(さんとう)、河南(かなん)の方は? おお土匪(どひ)が人質を浚(さら)ってゆく。もし人質に取られたら、幸福な家庭はすぐに不幸な家庭になってしまう。そうかといって上海(シャンハイ)、天津(てんしん)の租界へ置けば家賃が高い。じゃ外国へ置くとしたらいい笑い話だ。雲南(うんなん)、貴州(きしゅう)は交通があまりに不便で、どんな風だか解らん……」彼は思いめぐらしてみたが、適当の場所を想い出せない。そこでA(エー)と仮定した。「今でもアルファベットで人名地名を書き現わすと、読者の興味を減少するという者が少くはない。今度の俺の投稿では、これを用いない方が安全だ。それでは、どこがいいだろうかな? 湖南(こなん)も戦争だ。大連(たいれん)はやはり家賃が高い。察哈爾(チチハル)、吉林(きちりん)、黒竜江(こくりゅうこう)は――、馬賊が出るというし、こいつもいけない!……」そこで、いくら考えてみても格別にこれといった所もないので、「幸福な家庭」の所在はAということに仮定した。


他的笔立刻停滞了;他仰了头,两眼瞪着房顶,正在安排那安置这“幸福的家庭”的地方。他想:“北京?不行,死气沉沉,连空气也是死的。假如在这家庭的周围筑一道高墙,难道空气也就隔断了么?简直不行!江苏浙江天天防要开仗;福建更无须说。四川,广东?都正在打。山东河南之类?——阿阿,要绑票的,倘使绑去一个,那就成为不幸的家庭了。上海天津的租界上房租贵;……假如在外国,笑话。云南贵州不知道怎样,但交通也太不便……。”他想来想去,想不出好地方,便要假定为A了,但又想,“现有不少的人是反对用西洋字母来代人地名的,说是要减少读者的兴味。我这回的投稿,似乎也不如不用,安全些。那么,在那里好呢?——湖南也打仗;大连仍然房租贵;察哈尔,吉林,黑龙江罢,——听说有马贼,也不行!……”他又想来想去,又想不出好地方,于是终于决心,假定这“幸福的家庭”所在的地方叫作A。


「つまり、この幸福の家庭がAに在ると極(き)めれば問題はない。家庭にはもちろん一組の夫婦があって、とりもなおさず、それが主人と主婦で、自由結婚だ。彼等は四十何個条かの非常に詳細な、だから極めて平等な、十分に自由な条約を訂結(ていけつ)している。それに高等な教育と、高尚にして優美な……しかし日本の留学生はもう流行らない。――そんなら仮りに西洋の留学生としておこう。主人はいつも洋服を著(き)て、ハードカラーはいつも雪のように真白。夫人は髪の毛に鏝(こて)をかけ、雀の巣のようなモヤモヤの中から雪白の歯を露(あら)わしているが、著物は支那服で……」


「駄目々々、そいつは駄目だ! 二十五斤だよ!」


“总之,这幸福的家庭一定须在A,无可磋商。家庭中自然是两夫妇,就是主人和主妇,自由结婚的。他们订有四十多条条约,非常详细,所以非常平等,十分自由。而且受过高等教育,优美高尚……。东洋留学生已经不通行,——那么,假定为西洋留学生罢。主人始终穿洋服,硬领始终雪白;主妇是前头的头发始终烫得蓬蓬松松像一个麻雀窠,牙齿是始终雪白的露着,但衣服却是中国装,……”


“不行不行,那不行!二十五斤!”


窓の外で男の声が聞えたので、彼は思わず頭を横にしてみたが、カーテンは垂れているし、日の光は射し込んで目が眩むばかり。続いて木ッ端をバラ撒くような響がした。


「俺には関係の無い事だ」と思ってみたが


「何が二十五斤なのだろう?」と考えた。


「――彼等は優美高尚で、文芸を深く愛する。けれども幸福に生長して来た人だから、ロシヤの小説は好まない……と云うのは、下等な人間が描かれることが多いからで、こうした家庭には不向なのだ。オヤ『二十五斤』だって? 関係の無いことだ。それでは、彼等はどんな本を読むのだろうか?――バイロンの詩か? それともキーツの詩か? どうもぴったりと来ないな。あー、有ったぞ。彼等は『理想の良人(おっと)』を愛読するだろう。俺はまだ読んではいないが、既に大学の教授が称讃(しょうさん)しているというくらいなら、彼等もきっと愛読して、どこの家庭にも一つずつ備えてあるに違いない……」


彼は胃袋が虚空(からっぽ)になったのを感じた。筆を置いて、両手で頭を支えると、自分の頭はまるで二つの柱に立てかけた地球儀のようであった。


他听得窗外一个男人的声音,不由的回过头去看,窗幔垂着,日光照着,明得眩目,他的眼睛昏花了;接着是小木片撒在地上的声响。“不相干,”他又回过头来想,“什么‘二十五斤’?——他们是优美高尚,很爱文艺的。但因为都从小生长在幸福里,所以不爱俄国的小说……。俄国小说多描写下等人,实在和这样的家庭也不合。‘二十五斤’?不管他。那么,他们看看什么书呢?——裴伦的诗?吉支的?不行,都不稳当。——哦,有了,他们都爱看《理想之良人》。我虽然没有见过这部书,但既然连大学教授也那么称赞他,想来他们也一定都爱看,你也看,我也看,——他们一人一本,这家庭里一共有两本,……”他觉得胃里有点空虚了,放下笔,用两只手支着头,教自己的头像地球仪似的在两个柱子间挂着。


「彼等二人は、ちょうどお中食(ちゅうじき)をしているに違いない……」と彼は思った。「テーブルの上には真白な布が敷かれて、コックがお菜(さい)を運んで来る。たぶん支那料理だろう。」


「二十五斤」なんてことは、彼等と関係のない事だ。しかし、なぜ支那料理にするのだろう? 西洋人はいっている。支那料理は最も進歩したものである。最も美味で、かつ衛生的であると。彼等が支那料理を採るのはそのためだ。さて、一番初めに運んで来たのは何だろうか?……」


「薪ですよ……」


彼は吃驚(びっくり)してふり返ってみると、左の肩に添うて自分の家(うち)の主婦が両眼(りょうがん)を彼の顔に物凄く釘づけして立っている。





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