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鲁迅《狂人日记》(日汉对照)(一)

作者:佚名 文章来源:weilan.com.cn 点击数 更新时间:2015-4-10 21:12:52 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

某君兄弟数人はいずれもわたしの中学時代の友達で、久しく別れているうち便りも途絶えがちになった。先頃ふと大病(たいびょう)に罹(かか)った者があると聞いて、故郷(こきょう)に帰る途中立寄ってみるとわずかに一人に会った。病気に罹ったのはその人の弟で、君がせっかく訪ねて来てくれたが、本人はもうスッカリ全快して官吏候補となり某地へ赴任したと語り、大笑いして二冊の日記を出した。これを見ると当時の病状がよくわかる。旧友諸君に献じてもいいというので、持ち帰って一読してみると、病気は迫害狂の類で、話がすこぶるこんがらがり、筋が通らず出鱈目(でたらめ)が多い。日附(ひづけ)は書いてないが墨色(すみいろ)も書体も一様でないところを見ると、一|時(じ)に書いたものでないことが明らかで、間々(まま)聯絡(れんらく)がついている。専門家が見たらこれでも何かの役に立つかと思って、言葉の誤りは一字もなおさず、記事中の姓名だけを取換えて一篇にまとめてみた。書名は本人平癒後自ら題したもので、そのまま用いた。七年四月二日しるす。


某君昆仲,今隐其名,皆余昔日在中学校时良友;分隔多年,消息渐阙。日前偶闻其一大病;适归故乡,迂道往访,则仅晤一人,言病者其弟也。劳君远道来视,然已早愈,赴某地候补矣。因大笑,出示日记二册,谓可见当日病状,不妨献诸旧友。持归阅一过,知所患盖“迫害狂”之类。语颇错杂无伦次,又多荒唐之言;亦不著月日,惟墨色字体不一,知非一时所书。间亦有略具联络者,今撮录一篇,以供医家研究。记中语误,一字不易;惟人名虽皆村人,不为世间所知,无关大体,然亦悉易去。至于书名,则本人愈后所题,不复改也。七年四月二日识。



今夜は大層月の色がいい。


乃公(おれ)は三十年あまりもこれを見ずにいたんだが、今夜見ると気分が殊(こと)の外(ほか)サッパリして初めて知った、前の三十何年間は全く夢中であったことを。それにしても用心するに越したことはない。もし用心しないでいいのなら、あの趙家(ちょうけ)の犬めが何だって乃公の眼を見るのだろう。


乃公が恐れる理(わけ)がある。


今天晚上,很好的月光。


我不见呼延朱旭,已是三十多年;今天见了,精神分外爽快。才知道以前的三十多年,全是发昏;然而须十分小心。不然,那赵家的狗,何以看我两眼呢?


我怕得有理。



今夜はまるきり月の光が無い。乃公はどうも変だと思って、早くから気をつけて門を出たが、趙貴翁(ちょうじいさん)の目付(めつき)がおかしいぞ。乃公を恐れているらしい。乃公をやっつけようと思っているらしい。ほかにまだ七八人もいるが、どれもこれも頭や耳を密著(くっつ)けて乃公の噂をしている。乃公に見られるのを恐れている。往来の人は皆そんな風だ。中にも薄気味の悪い、最もあくどい奴は口をおッぴろげて笑っていやがる。乃公は頭の天辺(てっぺん)から足の爪先(つまさき)までひいやりとした。解った。彼らの手配がもうチャンと出来たんだ。乃公はびくともせずに歩いていると、前の方で一群の子供がまた乃公の噂をしている。目付は趙貴翁と酷似(そっくり)で、顔色は皆|鉄青(てっせい)だ。一体乃公は何だってこんな子供から怨みを受けているのだろう。とてもたまったものじゃない。大声あげて「お前は乃公にわけを言え」と怒鳴ってやると彼らは一散に逃げ出した。


乃公と趙貴翁とは何の怨みがあるのだろう。往来の人にもまた何の怨みがあるのだろう。そうだ。二十年前、古久(こきゅう)先生の古帳面(ふるちょうめん)を踏み潰したことがある。あの時古久先生は大層不機嫌であったが、趙貴翁と彼とは識合(しりあ)いでないから、定めてあの話を聞伝(ききつた)えて不平を引受け、往来の人までも乃公に怨みを抱くようになったのだろう。だが子供等は一体どういうわけだえ。あの時分にはまだ生れているはずがないのに、何だって変な目付でじろじろ見るのだろう。乃公を恐れているらしい。乃公をやっつけようと思っているらしい。本当に恐ろしいことだ。本当に痛ましいことだ。


おお解った。これはてっきりあいつ等のお袋が教えたんだ。


今天全没月光,我知道不妙。早上小心出门,赵贵翁的眼色便怪:似乎怕我,似乎想害我。还有七八个人,交头接耳的议论我,又怕我看见。做出什么对他们不利的事。一路上的人,都是如此。其中最凶的一个人,张着嘴,对我笑了一笑;我便从头直冷到脚根,晓得他们布置,都已妥当了。


我可不怕,仍旧走我的路。前面一伙小孩子,也在那里议论我;眼色也同赵贵翁一样,脸色也都铁青。我想我同小孩子有什么仇,他也这样。忍不住大声说,“你告诉我!”他们可就跑了。


我想:我同赵贵翁有什么仇,同路上的人又有什么仇;只有廿年以前,把古久先生的陈年流水簿子,踹了一脚,古久先生很不高兴。赵贵翁虽然不认识他,一定也听到风声,代抱不平;约定路上的人,同我作冤对。但是小孩子呢?那时候,他们还没有出世,何以今天也睁着怪眼睛,似乎怕我,似乎想害我。这真叫我怕,叫我纳罕而且伤心。


我明白了。这是他们老子娘教的!





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