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鲁迅《阿Q正传》(日汉对照)(九)

作者:佚名 文章来源:weilan.com.cn 点击数 更新时间:2015-4-10 19:59:03 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

第四章 恋愛の悲劇


こういう人があった。勝利者というものは、相手が虎のような鷹のようなものであれかしと願い、それでこそ彼は初めて勝利の歓喜を感じるのだ。もし相手が羊のようなものだったら、彼はかえって勝利の無聊(ぶりょう)を感じる。また勝利者というものは、一切を征服したあとで死ぬものは死に、降(くだ)るものは降って、「臣誠惶誠恐死罪死罪(しんせいこうせいきょうしざいしざい)」というような状態になると、彼は敵が無くなり相手が無くなり友達が無くなり、たった一人上にいる自分だけが別物になって、凄(すさま)じく淋しくかえって勝利者の悲哀を感じる。ところが我が阿Qにおいてはこのような欠乏はなかった。ひょっとするとこれは支那(しな)の精神文明が全球第一である一つの証拠かもしれない。


見たまえ。彼はふらりふらりと今にも飛び出しそうな様子だ。


有人说:有些胜利者,愿意敌手如虎,如鹰,他才感得胜利的欢喜;假使如羊,如小鸡,他便反觉得胜利的无聊。又有些胜利者,当克服一切之后,看见死的死了,降的降了,“臣诚惶诚恐死罪死罪”,他于是没有了敌人,没有了对手,没有了朋友,只有自己在上,一个,孤另另,凄凉,寂寞,便反而感到了胜利的悲哀。然而我们的阿Q却没有这样乏,他是永远得意的:这或者也是中国精神文明冠于全球的一个证据了。


看哪,他飘飘然的似乎要飞去了!


しかしながらこの一囘の勝利がいささか異様な変化を彼に与えた。彼はしばらくの間ふらりふらりと飛んでいたが、やがてまたふらりと土穀祠(おいなりさま)に入った。常例に拠るとそこですぐ横になって鼾(いびき)をかくんだが、どうしたものかその晩に限って少しも睡れない。彼は自分の親指と人差指がいつもよりも大層|脂漲(あぶらぎ)って変な感じがした。若い尼の顔の上の脂が彼の指先に粘りついたのかもしれない。それともまた彼の指先が尼の面(つら)の皮にこすられてすべっこくなったのかもしれない。


然而这一次的胜利,却又使他有些异样。他飘飘然的飞了大半天,飘进土谷祠,照例应该躺下便打鼾。谁知道这一晚,他很不容易合眼,他觉得自己的大拇指和第二指有点古怪:仿佛比平常滑腻些。不知道是小尼姑的脸上有一点滑腻的东西粘在他指上,还是他的指头在小尼姑脸上磨得滑腻了?……


「阿Qの罰当りめ。お前の世嗣(よつ)ぎは断(た)えてしまうぞ」


阿Qの耳朶(みみたぶ)の中にはこの声が確かに聞えていた。彼はそう想った。


「ちげえねえ。一人の女があればこそだ。子が断(た)え孫が断(た)えてしまったら、死んだあとで一碗の御飯を供える者がない。……一人の女があればこそだ」


一体「不孝には三つの種類があって後嗣(あとつ)ぎが無いのが一番悪い」、そのうえ「若敖之鬼餒而(むえんぼとけのひぼし)」これもまた人生の一大悲哀だ。だから彼もそう考えて、実際どれもこれも聖賢の教(おしえ)に合致していることをやったんだが、ただ惜しいことに、後になってから「心の駒を引き締めることが出来なかった」


「女、女……」と彼は想った。


「……和尚(陽器(ようき))は動く。女、女!……女!」と彼は想った。


われわれはその晩いつ時分になって、阿Qがようやく鼾をかいたかを知ることが出来ないが、とにかくそれからというものは彼の指先に女の脂がこびりついて、どうしても「女!」を思わずにはいられなかった。


たったこれだけでも、女というものは人に害を与える代物(しろもの)だと知ればいい。


“断子绝孙的阿Q!”


阿Q的耳朵里又听到这句话。他想:不错,应该有一个女人,断子绝孙便没有人供一碗饭,…… 应该有一个女人。夫“不孝有三无后为大”,而“若敖之鬼馁而”,也是一件人生的大哀,所以他那思想,其实是样样合于圣经贤传的,只可惜后来有些“不能收其放心”了。


“女人,女人!……”他想。


“……和尚动得……女人,女人!……女人!”他又想。


我们不能知道这晚上阿Q在什么时候才打鼾。但大约他从此总觉得指头有些滑腻,所以他从此总有些飘飘然;“女……”他想。


即此一端,我们便可以知道女人是害人的东西。


支那の男は本来、大抵皆聖賢となる資格があるが、惜しいかな大抵皆女のために壊されてしまう。商(しょう)は妲己(だっき)[#「妲己」は底本では「姐己」]のために騒動がもちあがった。周(しゅう)は褒(ほうじ)のために破壊された? 秦……公然歴史に出ていないが、女のために秦は破壊されたといっても大して間違いはあるまい。そうして董卓(とうたく)は貂蝉(てんぜん)のために確実に殺された。


阿Qは本来正しい人だ。われわれは彼がどんな師匠に就いて教(おしえ)を受けたか知らないが、彼はふだん「男女の区別」を厳守し、かつまた異端を排斥する正気(せいき)があった。たとえば尼、偽毛唐の類(るい)。――彼の学説では凡ての尼は和尚と私通している。女が外へ出れば必ず男を誘惑しようと思う。男と女と話をすればきっと碌なことはない。彼は彼等を懲しめる考(かんがえ)で、おりおり目を怒らせて眺め、あるいは大声をあげて彼等の迷いを醒(さま)し、あるいは密会所に小石を投げ込むこともある。


中国的男人,本来大半都可以做圣贤,可惜全被女人毁掉了。商是妲己闹亡的;周是褒姒弄坏的;秦……虽然史无明文,我们也假定他因为女人,大约未必十分错;而董卓可是的确给貂蝉害死了。


阿Q本来也是正人,我们虽然不知道他曾蒙什么明师指授过,但他对于“男女之大防”却历来非常严;也很有排斥异端——如小尼姑及假洋鬼子之类——的正气。他的学说是:凡尼姑,一定与和尚私通;一个女人在外面走,一定想引诱野男人;一男一女在那里讲话,一定要有勾当了。为惩治他们起见,所以他往往怒目而视,或者大声说几句“诛心”话,或者在冷僻处,便从后面掷一块小石头。





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