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日语二级能力考试冲刺集训2

作者:佚名 文章来源:日语学习网 点击数 更新时间:2015-2-14 15:05:03 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

読解


おじさんの中学生のときはどうだったろう。


いたずら好きのAと仲良しだったときがある。野球のうまいBや、頭のいいCや、家が貧しいけれどマジメなDと仲良しだったときもある。でも、クラスが変わるたびに友だちが変わっていき、1中学の三年間を通じて一人の友達と深く付き合うことはなかった。Dとは夏休みにいっしょにアルバイトをやったりして「親友」みたいだったのに、いつの間にか付き合わなくなっている。


2これはだれでもそうじゃないかと思うんだ。友達は変わってゆく。その場かぎりのつきあいといえば言えなくはないけど、自分の求めているものが変わってゆくから、3相手を自然に変えてゆくのだと思う。


おじさんの場合、いたずら好きのAと仲良しだったときは、おじさんもいたずらがしたかった。いたずらをして気持ちがスカッとすることを求めていた。でもいたずらではほんとうに気持ちがスカッとしないことにやがて気づいて、Aとつきあわなくなった。BやCやDについても、そのときどきにおじさんが求めていたものを、彼らがあたえてくれたんだね。意識したわけじゃないけど、そのときの自分の益になる相手を求めて、付き合う相手がおのずと変わっていったのだと思う。だからといって、4こうした相手を「友達」と呼べないかというと、そうではないんだね。


利己的のようだけれど、「友達」というのは自分に「益」になる相手のことなんだ。その相手とつきあうことで自分が「得」をする。しかし、その「益」なり「得」なりの中身が問題なんだね。(中略)


たった一度しか会わなくても、その影響が人生にすばらしく作用すれば、5これは立派な「友達」だ。実際には会わなくたって、たとえばその人のことをテレビで観たり本で読んだりしただけで、素晴らしい影響を受けたら、これは「友達」なんだね。


もっとも実際に会わなければ、厳密には「友達」とはいえないけれど、生きるうえで心に影響を受ける相手とはそう何人も出会えるものではないことも、おじさんの経験からいえる。


しかし、6君自身がそれを求める心構えでいなかったら、中学生のときはおろか、一生「友達」には出会えないだろう。


問1①「中学の三年間を通じて一人の友達と深く付き合うことはなかった」とあるが、それはなぜか。


1野球がきらいだったから


2夏休みにアルバイトをしたから


3よくけんかをしたから


4求めるものが変わったから


問2②「これ」は何を指しているか。


1夏休みにアルバイトをすること


2いたずら好きなこと


3友達が変わること


4友達が多いこと


問3だれが③「相手を自然に変えてゆく」のか。


1だれか


2だれでも


3友達


4親友


問4④「こうした相手」とは、この場合どんな相手のことか。


1いつも自分の利益になる相手


2中学時代自分の利益になる相手


3そのときどきに自分の利益になる相手


4大人になってからも自分の利益になる相手


問5⑤「これは立派な『友達』だ」とあるが、この場合どんな意味か。


1友達になったほうがよい


2友達といってよい


3友達といってはいけない


4友達にならなくてもよい


問6⑥「君」とはだれのことと考えられるか。


1中学生たち


2中学生の親たち


3筆者の昔の友達


4おじさんの友達だった


問7この文章に出てくる「おじさん」とはだれのことか。


1筆者自身


2筆者のおじ


3中年の男性


4友達のおじ


問8結論として筆者はどんな「友達」を求めるべきと言っているか。


1その場限りの友達


2長く付き合っていける友達


3経済的に助けてくれる友達


4人生に影響を与えてくれる友達


正解


読解


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