[求助]请大家帮我翻译下这两句话~
前文是:人間の心理として,二つの道があれば,有利なほうを選ぶのが自然です。
接下来的两句就不懂了。。还有,上面一句中的 “選ぶ” 后面的 “の” 能否换成“こと”呢?
1・ しかし,人間は時々したくないこともしなければならないということも事実です。
2. ですから,子供の時から,したくないこともするという訓練をしておくことが大切だと思います。
头都大了,请大家帮忙,谢谢了!
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[求助]请大家帮我翻译下这两句话~
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作者:未知 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2005-11-26 11:24:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:胖子 |
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若您想参与论坛讨论请点击后面连接: [求助]请大家帮我翻译下这两句话~ 作者:frank7810 2004-12-24 22:29:00)
[求助]请大家帮我翻译下这两句话~ 前文是:人間の心理として,二つの道があれば,有利なほうを選ぶのが自然です。 接下来的两句就不懂了。。还有,上面一句中的 “選ぶ” 后面的 “の” 能否换成“こと”呢? 1・ しかし,人間は時々したくないこともしなければならないということも事実です。 2. ですから,子供の時から,したくないこともするという訓練をしておくことが大切だと思います。 头都大了,请大家帮忙,谢谢了! [此贴子已经被作者于2004-12-24 22:41:17编辑过] 作者:凤尾居士 2004-12-25 0:04:00)
1 但是,世上时不时会有不得不做不想做的事情的现实 2 因此,我想在小时侯,练习做不想做的事情是十分必要的 请多指教... 作者:老肖 2004-12-25 0:54:00)
前文是:人間の心理として,二つの道があれば,有利なほうを選ぶのが自然です。 接下来的两句就不懂了。。还有,上面一句中的 “選ぶ” 后面的 “の” 能否换成“こと”呢? 译文:作为人的心理,如果有两条路的话,那么挑选有利的路是自然的。 本句的のが可以改为ことが。の和こと都是形式名词,在做主语和宾语时,两者在用法上是有差异的,下面大致分析一下两者的用法区别: 句子中,当谓语是具体的动作,宾语是具体的内容时,应用のは和のを;当谓语是抽象的动作(比如思维、转达等),宾语是抽象的内容时,应用ことは和ことを。这是一般规则。但当具体、抽象不怎么清楚时,两者都可以用。例如: 1)、みんなは道端に立ってパレートが進行しているの(×こと)を見物していた。大家站在路旁,观看游行队伍的前进。 2)、東京大学に入ったの(×こと)は容易なことではない。 3)、もうすぐ夏休みになること(×の)を思うと、もう落ち着いて勉強できない。 4)、木材の優秀性を数量的に証明すること(×の)は困難である。/用数量来证明木材的优秀性是困难的。 5)、私は彼が来るの(○こと)を期待している。/我在等待着他的归来。 6)、野村が自動車の事故でなくなったの(○こと)は確かだ。/野村的确因汽车的事故而逝世了。 形式体言在语法中是比较难掌握的,区别就更难了,先知道大体有这么回事,以后例句见多了,就能分清楚了。
1・ しかし,人間は時々したくないこともしなければならないということも事実です。 译文:但是,人们有时对不想干的事情还不能不干这种情况也是事实。 2. ですから,子供の時から,したくないこともするという訓練をしておくことが大切だと思います。 译文:所以,从孩子的时候开始,不想干的事情也干,我想提前作这种训练是非常重要的。 以上句子咋看起来很难,但你只要把主、谓、宾、定、状、补等句子关系搞明白了,其意思是不难理解的。 作者:frank7810 2004-12-25 14:11:00)
太感谢肖老师了!!!!看您回复的那么仔细,令我一看就能明白,我真是太感动了! 就和你的签名一样 “送人玫瑰,手有余香。" 有朝一日如果我的日语也能学好的哈,那么您就是我的榜样。。我也会像您一样去尽量帮助别人的!!! 作者:aamn1203 2004-12-25 14:27:00)
问题总是到老肖那里就结束了:) 作者:沙漠风暴 2004-12-25 14:46:00)
to 肖老师 句子中,当谓语(应该是主语吧???)是具体的动作,宾语是具体的内容时,应用のは和のを;当谓语(应该是主语吧???)是抽象的动作(比如思维、转达等),宾语是抽象的内容时,应用ことは和ことを。这是一般规则。但当具体、抽象不怎么清楚时,两者都可以用。 不知道是不是我理解错了? 作者:老肖 2004-12-25 17:35:00)
以下是引用沙漠风暴在2004-12-25 14:46:00的发言:
to 肖老师 句子中,当谓语(应该是主语吧???)是具体的动作,宾语是具体的内容时,应用のは和のを;当谓语(应该是主语吧???)是抽象的动作(比如思维、转达等),宾语是抽象的内容时,应用ことは和ことを。这是一般规则。但当具体、抽象不怎么清楚时,两者都可以用。 不知道是不是我理解错了? 动作应该是用谓语来体现的,比如:書く、読む、やる、動かす等这些都是看得见摸得着的动作名称,属于是具体动作;但当考える、伝える、思い出す、覚える等这些看不见摸不着的动作名称属于抽象动作。 至于主语都是一样的,无非是わたし、あなた、王さん、田中さん等,不存在具体抽象之说啊。 作者:老肖 2004-12-25 18:54:00)
以下是引用frank7810在2004-12-25 14:11:00的发言:
太感谢肖老师了!!!!看您回复的那么仔细,令我一看就能明白,我真是太感动了! 就和你的签名一样 “送人玫瑰,手有余香。" 有朝一日如果我的日语也能学好的哈,那么您就是我的榜样。。我也会像您一样去尽量帮助别人的!!! 谢谢你的夸奖,但不学也罢,我家那当家的天天唠叨说我一不扫地、二不叠被、三不洗碗,天天有空就扒在电脑旁。呵呵,有苦难言哪,有苦难言。 作者:沙漠风暴 2004-12-25 20:21:00)
句子中,当谓语是具体的动作,宾语是具体的内容时,应用のは和のを;当谓语是抽象的动作(比如思维、转达等),宾语是抽象的内容时,应用ことは和ことを。这是一般规则。但当具体、抽象不怎么清楚时,两者都可以用。例如: 当谓语是具体的动作应用のは,我是这样理解的 2)、東京大学に入ったの(×こと)は容易なことではない。 東京大学に入った是个主语从句,进入大学是个具体的动作,所以要用のは 6)、野村が自動車の事故でなくなったの(○こと)は確かだ。/野村的确因汽车的事故而逝世了。 野村が自動車の事故でなくなった 这也是个主语从句,野村的确因汽车的事故而逝世也是个具体的动作,所以要用のは, 由此我对你的解答理解为,如果主语是个具体动作,就用のは否则用ことを 因为以上问题我是这样来考虑的,所以才提出了[当谓语(应该是主语吧???)是具体的动作,宾语是具体的内容时,应用のは和のを]的问题,如果只是具体的使用称谓不同,那就没关系,最主要的是我这样的理解对不对! 请肖老师再指点一下,这个问题我也困惑了很久了!谢谢 作者:老肖 2004-12-25 22:08:00)
哦,经你这么一说,我明白了,你认为的是对的。你把前面整句话看成是主语从句这可以。我所说的也是这个意思,我是说の和こと前面的动词,也就是说前面的定语从句中的谓语。是一码事。看来是我解释的不够清楚,容易产生歧异啊。不过这只限于のは和ことは的场合,のを和ことを就不存在这种情况了。这属于宾语了。
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