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桜に思う
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作者:未知 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2005-9-18 8:35:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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五十川 倫義 春が来た。中国の大地には、季節の交代を告げる色様々な花が咲いているだろうと思う。日本は桜のシーズンだ。亜熱帯の沖縄では、1月から咲いているが、そろそろ九州や四国からも、桜の開花の便りが届くころだ。日本は南北に細長い国だ。長い時間をかけて、南から北へ、順に桜の花が開いていく。 桜(主にソメイヨシノ)の開花日が等しい地点を結んだ線を、「桜前線」と呼んでいる。前線が東京を通過するのは3月末ごろ。東北地方の大部分は4月。5月になると、やっと北海道の各地に至る。 桜は日本人の生活の中にも深く根をおろしている。 中国と違い、日本の学校は4月に始まる。小学生になった子供と親たちが手をつないで入学式に出かけ、桜咲く校庭で記念写真をとるのは、昔から変わらない日本の風物詩だ。 「花見」も春の楽しみの一つだ。人々は桜で有名な行楽地へ出かける。東京の上野公園や新宿御苑、大阪の大阪城公園や「造幣局の桜の通り抜け」には多くの人たちが押し寄せる。 花見客たちは桜の下に座って酒を飲んだり、食事をしたりして春の一日を楽しむ。歌ったり、踊ったりする人もいる。会社などでは、職場の同僚たちが桜の下で宴会を開く。宴会の幹事はいい場所を確保しなければならず、夜の宴会のために、昼から「先鋒隊」を公園へ派遣することもある。 古都・京都は桜の名所が多い。秋の紅葉の美しさが名高い嵐山は、桜でも有名だ。ここには、桜のある景色を描写した故周恩来首相の詩碑もある。日本に留学した周氏は1919年4月5日に嵐山を訪れた。ピンクの桜と、緑の松は霧雨の中にけぶっていた。しかし、しばらくすると、雲間から太陽の光が差し始めた。そんな光景と、自らの思いを込めながら、周氏は詩を詠んだ。碑に刻まれた詩は、この時のもので、60年後の1979年4月、トウ穎超夫人を迎えて詩碑の除幕式が行われた。 周氏が嵐山を訪ねた1カ月後、中国では五四運動がまき起こる。周氏は帰国して運動に加わった。嵐山の詩は革命家の若い日の記録として残っている。 1972年9月、周氏は首相として、日中国交正常化の交渉に臨み、北京を訪れた田中角栄首相ら代表団を、歓迎夕食会を開いてもてなした。人民大会堂の華やかな会場では、解放軍が奏でる日本と中国の歌の数々が流れた。最初の日本の歌は「さくらさくら」だった。周首相は、嵐山の桜を思い出しただろうか。 中国にも、たくさんの桜があるようだ。 私が仕事で、北京に駐在していた時、家族で、玉淵潭公園へ、花見に出かけた。訪れた時期が少し早かったためか、桜の花は少なかったが、公園は大勢の人たちでにぎわっていた。人民日報海外版は、玉淵潭公園には7種類、約3000本の桜があると紹介している。一斉に、満開になると、さぞかし美しいだろう、と想像している。 中国の人たちがたいへん親しんでいる春の花は何だろうか。やはり牡丹だろうか。私が中国の牡丹を初めてじっくり見たのは、山東省済南市の公園を訪ねた時だった。ずいぶん大きな花だなと思った。梅の花もまた中国の人たちに愛されているように思う。 桃園も、菜の花畑も美しい季節だ。うららかな一日、中国の春の花を見ながら、散歩してみたい。 五十川 倫義 (朝日新聞) 樱花 五十川 伦义 春天来了。中国大地当是百花斗艳,正在宣告季节的交替吧。日本正值樱花时节。位于亚热带的冲绳,一月份花就开了,接下来,从九州、四国,很快就会传来樱花开放的消息。日本地形南北狭长,樱花从南到北依次开放,能开很长时间。 把樱花(主要是“染井吉野”樱花)同时开放的地点连接起来,这条线叫“樱花前线”。前线通过东京大概是在3月末,东北大部分地区是4月份,到了5月份,才能到达北海道各地。 樱花的根,也深深地扎在日本人的生活中。 和中国不同,日本的学校是4月份开学。刚刚成为小学生的孩子们拉着爸爸***手参加入学典礼,在樱花盛开的校园里照相留念,这是一首经久未变的日本风情诗。 “赏花”也是春天的乐趣之一。人们去有名的樱花胜地赏樱。东京的上野公园、新宿御苑,大阪的大阪城公园和“造币局樱花通道”,总有很多人纷至沓来。 赏花的人们在樱花树下饮酒、吃饭,享受一日春光。也有人唱歌跳舞。公司的同事们在樱花树下举行宴会。为了晚上的宴会,组织者们有时白天就要派“先遣队”去公园,以确保能占一个好地方。 古都京都有很多樱花名胜地。以秋天红叶之美而闻名的岚山,樱花同样负有盛名。这里有周恩来总理描写樱花景色的诗碑。1919年4月5日,当时在日本留学的周恩来来到岚山,看见粉红色的樱花和绿色的松树在雨雾中若隐若现,不久,阳光从云间照射下来。面对此景,周恩来赋诗抒怀,碑上刻的就是这一首。60年后的1979年4月,邓颖超夫人访日时,举行了诗碑的揭幕典礼。 周恩来游岚山一个月后,中国掀起了五四运动。周恩来回国参加了运动。岚山之诗,记录了革命家的年轻岁月。 1972年9月,周恩来作为总理举行欢迎宴会,招待来北京进行中日邦交正常化会谈的田中角荣首相率领的代表团。在人民大会堂金碧辉煌的宴会厅,人民解放军奏起了日本和中国的乐曲。第一首就是日本的“樱花”。不知那个时侯,周总理是不是想起了岚山的樱花。 中国好象也有很多樱花。 我因工作常驻北京时,曾全家去玉渊潭公园赏花。可能是去得稍早了一点,樱花还很少,可是公园里人很多,熙熙攘攘,十分热闹。人民日报海外版介绍说,玉渊潭公园的樱花有7种,约3000株。可以想象,这些樱花一齐盛开的时候,一定是非常美的。 中国人最喜欢春天的什么花呢?大概还是牡丹吧。我第一次仔细观赏中国的牡丹,是在山东省济南市的公园里。当时觉得牡丹花可真大。印象中,梅花也很受中国人的喜爱。 春天来了,这是一个桃花、菜花也非常美丽的季节。真想在明媚的日子里,一边散步,一边欣赏中国春天的花。 五十川 伦义(朝日新闻)
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