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贯通会员翻译作品《报道的原则》
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作者:华南虎 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2005-8-15 9:49:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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论坛讨论地址: http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=42121&page=1 报道的原则
新闻报道,毋庸赘言,自然是以公正严明地给读者提供客观事实为原则的。终战前的日本报纸,有着将新闻和主观意见相混同的倾向。而不是冷静淡然地报道事实的原样,而多夹杂一些“应该是这样”或者“肯定是这样”的主观意见和主张。这样将新闻与主观意见相混同的做法,自不待言,是新闻报道上的歪门邪道。新闻之所以为新闻,是必须原汁原味地提供给读者的。只要提供判断的材料就行,而判断由读者来作出,如何判断,取决于读者的意愿,是读者的自由。如果想要陈述自己的意见和主张,则可以在社论一栏里发表。再者,若想讲清该新闻得来的始末缘由,解明其背景以及内隐,给人解释上的方便,则应加上“解说”的标题,明确表示其中含有主观的见解和观察。
荒垣 秀雄 《报纸编辑的魔术》
原文:
報道の原則
ニュースの報道は、あくまでも厳正公平に、客観的事実を読者に提供するのが原則であることは申すまでもありません。終戦前の日本の新聞は、ニュースとオピニオンをごっちゃする傾向がかなりありました。なるのままの事実を淡々として冷静に報道するのではなく、そのニュースの中に、「こうあるべきだ」とか、「かくあらねばならぬ」とかいう意見や主張をさしはさむことが多くありました。これはニュースとオピニオンとの混同で、新聞報道としては非常な邪道であることは言うまでもありません。ニュースはニュースとして、あるのままの姿で提供されるべきものです。判断材料を提供すれば良いであって、判断するのは読者であり、どのように判断しようが、それは読者の勝手であり、自由であります。もしもそれに意見と主張を加えたいなら、それは社説の欄で言えば良いことです。またもし、そのニュースの寄って来る所のいきさつや、その裏面に伏在するもの、その底に横たわる物などを解きほぐして、解釈の鍵を与えようと思うなら、それには「解説」のタイトルを付して、主観的な見解や観察も入り混じっていることを明らかにするのがほんとうであります。
荒垣 秀雄 「新聞編集の魔術」
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