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贯通会员翻译作品《庭院》
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作者:华南虎 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2005-8-2 10:37:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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贯通会员翻译作品,详细请登陆以下地址查看: http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=39564&page=1 山阴默不作声地踏入客厅,穿过书斋去看那布置在东北角的一个小庭院。这个位于书斋旁边的小园,兼有置石和假山水的风格。可他并没有正经学过庭院的知识,所以听了石甚的介绍依然是摸不着头脑。
观赏庭院,说是要在朝雾蒙蒙的清晨,或是夕阳如画的黄昏,总之,要在斜光里看才美。所以,他也曾多次估摸着差不离的时分去观赏,可不管什么时候去看,昏暗朦胧的斜光里的这个远离尘世的庭院,都显得既萧瑟孤寂又土里土气,与这个寺院一起饱经风霜,仅此而已。由于观赏者毫无眼力,自然就既无根据堆石的形状以及棱角、石面样态等等来看出造园者独特风格的自信,也不能分辨出建造的年代。无奈,这个杉木苍郁之中的慈海寺的小小庭院,并没有什么特别的东西呈现给他,只让他觉得有一股彻骨的冷气,从脚底往上钻。
庭中摆放着三块立石,修了一个无水的假瀑布,一座小石桥横跨在用白色细砂来表现的流水之上。又有灌木点缀其间,一处小石丘,四下里草木葱茏。可那用来表现流水的白砂,怎么看都有点铁锈色,使得整个庭院看起来都显得脏兮兮的。
要是像龙安寺那种有专家介绍的置石庭院,可以凭着观光指南来欣赏,可对眼前这个土里土气的庭院却怎么无从下手,只能茫然相对而已。
斯波 四郎 《山塔》
作者介绍: 斯波 四郎(1910~1989)小说家。出生于山口县。本名柴田四郎。第五高中毕业。第五高中退学后去东京(注:此句与上句有矛盾,可原文如此),经历了10几种职业。昭和12年入每日新闻社,之后从事《SUNDAY每日》的编辑。昭和28年加入《文学者》同人,发表了《少女幻影》。昭和30年与友人一起创刊了《立像》杂志。昭和32年发行了《禽兽宣言》。昭和34年在《早稻田大学》上发表了《山塔》,获芥川文学奖。除《山塔》外尚有《柠檬·布拉克之死》、《爱和死的森林》、《星期一的忧郁》、《含羞花》等作品。
原文:
庭
山陰が黙って座敷に上がり、書院をとおって東北隅にしつらえた小庭を眺めにいった。書院脇の小庭は、石庭と枯山水をかねたものだった。庭のことなど、ろくに勉強したこともない彼には石甚の講釈もなんのことかわからなかった。
庭を見るには霧の深い朝、夕映えの美しい暮れ刻、とにかく斜光のなかにこそ、見るべきだといわれている。その頃間を測ってなんどか彼は来て見ているのだが、何時見ても鈍い斜光の中で、世の中に遠い庭は、侘しげに鄙びて、寺とともに歳月を重ねているだけであった。観る者の眼がだめなので、庭石の形状や陵角、面の工合といったものから、庭園作者の個性風格を知る自信も、作庭年代を見破ることも出来ない。致し方もないことだが、鬱蒼たる杉木立のなかの慈海寺小庭は、特別、なにも彼に示そうとはしなかった。ただ足許から底冷えのする冷気がはいあがってくるのである。
三個の立石があり、枯滝がしつらえてあり、小さな石橋があって白砂の水流が表現してある。そのあいだを灌木がいろどり、石丘があり、樹草が息づいている。水流にあたる白砂が、何となく赤錆びて見えた。ひどくそれが庭を汚れたものにしているようだ。
竜安寺の石庭などのように専門家によって解説された庭なら、手引きで観賞もできるが、鄙びた小庭に対しては、なんとも手のつけようもない。茫然と見るだけである。
斯波 四郎 「山塔」
作者紹介: 斯波 四郎(1910~1989)小説家。山口県生まれ。本名柴田四郎。五高を卒業。五高中退後上京し、10数種の職業を転々とする。昭和12年毎日新聞社に入社し、後に「サンデー毎日」の編集に従事する。昭和28年「文学者」に加わり、「少女幻影」を発表。30年友人らと「立像」を創刊。32年「禽獣宣言」を刊行。34年「早稲田大学」に「山塔」を発表し、芥川賞を受賞。「山塔」のほか、「檸檬.ブラックの死」、「愛と死の森」、「月曜日の憂鬱」、「含羞の花」などの著書がある。
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