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贯通会员翻译作品《大雁》

作者:华南虎 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2005-7-13 8:09:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

贯通会员翻译作品,详细请登陆以下地址查看:

http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=37587&page=1

大雁

   在我自小生长的故乡若狭(注:日本旧地名。在现在福井县的西部)的山村,经常有大雁飞过。

   群山的深处就是近江的琵琶湖。自古以来,在北近江就常年栖息着大雁,似乎时不时地,大雁就会飞越若狭的山岭,从我们的村子上方飞过。母亲常在山里的水田里干农活。我们这些孩子,常常一到傍晚就跑到山里的田埂上,等待母亲从泥田里收工上来。这时会看到狭窄的山谷上空有大雁飞过。

   大雁大多是十只左右编成一队,弯弯地呈人字形。屏风似的大山直插云霄,使得山谷上方的天空显得比田狭窄,简直就像一条腰带。大雁飞过这样的天空,所需的时间极短,往往是刚想到“啊、是大雁在飞……”,要指给哥哥弟弟们看,立刻再抬起头来时,大雁已飞的无影无踪了。大雁已被吸进黑黑的山体里去了。正因为大雁是消失在大山的身体里的,所以连它们翅膀的拍打声都听不到。自然,我也不记得听到过它们的鸣叫声。大雁如风一般地飘来,又如风一般飘飘摇摇地消失在群山里。

                          水上 勉 《大雁的故事》

作者介绍:

   水上 勉(1919~ )小说家。出生于福井县。立命馆大学国文科中退。战时作为一名兵卒任满州的苦力监督及小学助教。昭和20年认识了开办虹书房的宇野浩二,昭和23年出版了《平底锅之歌》。在之后的10年间,他靠做西服生意和接行业广告为生。昭和34年,出版了《露与影》,昭和35年因《海之牙》获日本侦探作家俱乐部奖,展开题材广泛的创作活动。代表作另外还有:《饥饿的海峡》、《五番町夕雾楼》、《越前竹人偶》、《火烧金阁寺》、《一休》、《良宽》等。

原文:

私の育った若狭(わかさ)の村は、よく雁が通った。

山の奥は近江(おおみ)琵琶湖(びわこ)になっていた。むかしから、北近江(きたおおみ)には、雁が年じゅう棲んでいて、時たま、若狭の山をこえて、私たちの村をわたったのかとも思う。母は山の奥の汁田(しるた)で働いた。私たち子供は、夕暮れになると、よく山の田の(あぜ)へ出て、母が泥田(どろた)から上がってくるのを待っていたものであった。そんな時、せまい谷の空を雁がわたった。

たいがい、雁は十羽ぐらいの群れをなして、への字にまがっていた。谷の空は、屏風のような山が天へぬけていたから、田圃(たんぼ)よりもせまくて、まるで帯のようにほそい。そんな空を、雁がわたったのは、ほんのわずかの時間であった。あッ、雁がゆく......と思って、兄や弟に指さしてみせても、すぐに空を仰ぎ直すともう雁はいない。黒い山の肌へ吸いこまれているのである。もちろん、啼く声もきいたおぼえはない。雁は、風のようにあらわれ、風のように、ふわふわと山に吸われた。

                   水上(みずかみ) (つとむ) 「雁の話」

作者紹介:

 水上 勉(1919~ )小説家。福井県生まれ。立命館大学国文科中退。戦時は、満州の苦力(クーリー)監督や小学校助教、兵卒として過す。昭和20年虹書房をおこして宇野浩二を知り、23年「フライパンの歌」を刊行。以降10年間洋服の行商や業界の広告取りで暮らす。34年「露と影」を刊行し、35年「海の牙」で日本探偵作家クラブ賞を、36年「雁の寺」で直木賞を受賞し、幅広い旺盛な創作活動に入る。代表作はほかに、「飢餓海峡」、「五番町夕霧楼」、「越前竹人形」、「金閣炎上」、「一休」、「良寛」などがある。


 

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