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2005年04月09日の「天声人語」

作者:银子 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2005-4-18 8:23:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

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http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=30262&page=1

中间有两大段很难的啊,,,  哈 有兴趣大家可以看看
戦艦大和が沖縄へ向けて出撃する日、吉田満少尉は遺書をしたためた。「私ノモノハスベテ処分シテ下サイ 皆様マスマスオ元気デ、ドコマデモ生キ抜イテ下サイ」
戰艦大和向冲繩出撃的那天,吉田満少尉留下了一封遺書。”我的東西請全部都処理掉,大家要健健康康的,不管在何処都好好的活下去”

 その翌日、1945年、昭和20年4月7日、大和は九州沖で米軍機の猛襲を受け沈没した。世界の列強と競って建造した軍艦の象徴だった巨艦の最期は、軍国・日本の敗北をも象徴していた。
  那之后的第二天,1945年,昭和20年4月7日,大和号在九洲遭遇美軍用机的猛烈襲撃沈船了。為了和世界列強争霸而建造的象征軍艦的巨艦,最后,標志了軍国日本的敗落。

 奇跡的に生き残った吉田氏が、終戦直後にてんまつを記した『戦艦大和ノ最期』は、時を超えて読み継がれてきた。大学を出たての青年の記述は、今も鮮烈だ。
  奇迹般生存下来的吉田君,戰争結束后不久記載着戰争原委的[戰艦大和的末日],被不同時代的人們傳閲着。初出大学的青年的記述,至今仍然鮮明強烈。


 「時ニ『大和』ノ傾斜、九十度ニナンナントス……アナヤ覆ラントシテ赤腹ヲアラハシ……火ノ巨柱ヲ暗天マ深ク突キ上ゲ……全艦ノ細片コトゴトク舞ヒ散ル」。漂流中、一本の縄ばしごをつかみ助け上げられた。
  [那時候[大和]的傾斜,將近九十度.....洞阿]???

 漂流者で満杯の救助艇では、こんなこともあったという。「船ベリニカカル手ハイヨイヨ多ク、ソノ力激シク……ココニ艇指揮オヨビ乗組下士官、用意ノ日本刀ノ鞘(さや)ヲ払ヒ、犇(ひし)メク腕ヲ、手首ヨリバツサ、……敢ヘナクノケゾツテ堕チユク、ソノ顔、ソノ眼光、瞼ヨリ終生消エ難カラン」
 飄流者据説在満載的救助艇上,説過這様的話。[攀在船舷的手有許多,那力量很大.....這艘艇指揮和船員下級軍官, 將准備了日本刀的鞘,                     ]

 吉田氏は戦後日本銀行に入り、支店長や監事を務めた。『吉田満著作集』の年譜を見る。詳細な記述の中で、あの4月はこう記されている。「沖縄特攻作戦に参加。生還」。参加と生還の間に一文字もない。しかしその字間に、どれほどおびただしい修羅があったことか。大和の最期に限らず、あらゆる戦場で命を奪われ、また命を削られた人たちの慟哭(どうこく)を思った。
   吉田君戰后進入日本銀行,就任支行長和監事 .査看[吉田満著作集]的年譜.詳細叙述中,那个4月是這麼記載着的.[参加冲繩特攻作戰.生還.]参加和生還之間的事只字未提.可是那字里行間,透露着何等的惨烈阿.懷念不止是大和的最后,在所有戰場上,被剥奪了生命的人們的慟哭.


 

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