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2005年01月29日の「天声人語」

作者:qingensh… 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2005-3-12 6:05:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

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ポーランドのアウシュビッツ強制収容所が解放されて60年がたった。記念の式に集まる元収容者も老齢化している。人間が人間に対してなした究極的なおぞましい所業の一つを、記憶し直す時だ

波兰的奥斯威辛强制收押所解放已经60年了。在纪念仪式上汇聚的原收押员现在也是白发苍苍了。此时重新追溯以往的记忆,对那人类对自己的同类所作的残酷的令人发指的行径之一。
フランクルの『夜と霧』を訳した霜山徳爾さんは、アウシュビッツの記録の中で注意を引くものとして「カポー」の存在を挙げた。元々は囚人だが、その中から選ばれ、他の囚人を監督し取り締まる側に回る。

法兰克[夜与雾]的译者霜山得而列举了在奥斯威辛的记录中引入注意的[狱卒]。从犯人中挑选出来的监督,管制其他犯人的人。
  「彼らの内にはナチスの看視兵よりもずっと残酷に同胞を迫害した人間が少なからず存した」。生き残るために特権にかじりつくだけでなく、享受さえしたという。「人間のエゴイズムの哀しさを露骨に感じさせる」

[他们中有不少人迫害同胞远比纳粹党的监视兵来得残酷]。据说为了生存不仅紧咬住特权不放,还享受其中。[让人赤裸裸的感受到了人类的唯利是图的悲哀]
  一方、極限状況でも尊厳を失わなかったひとりとしてコルベ神父を挙げる。死刑を宣告された男の身代わりとなって殺された。収容所跡には神父の房が残されている

另一方面,也列举了即使在极限状况下也不散失尊严的KOLBE神父。代替被宣告死刑的人被杀害了。在集中营中还留有神父的房间。
  数年前の今頃、アウシュビッツを巡り、人間の幅というものが試された現場だと感じた。元々は「普通の人」だったはずの多くのドイツ人や「カポー」が行き着いた残虐と、それにさいなまれた人たちの絶望、そして、この残虐も奪い尽くせなかった人間の尊厳。人の弱さと強さとの幅を人気のない雪原の中で思った

环顾集中营,我感觉到在几年前的现在,这里真是在检验人类本质极限的地方。众多原本是[普通人]的德国人和[狱卒]的残暴行径,以及受虐待的人们的绝望,更有不被残暴所摧残的人类的尊严。在人迹罕见的雪原上我想到了人的软弱和坚强之间的界限。
  先日来、ハンセン病患者に対するおぞましい所業についての報道が続く。産んだばかりのわが子を看護婦に窒息させられたとの発言もある。これも、元々は「普通」だったはずの人や社会が行き着いた残虐なのか。未来のためにも、そこにまで至った道筋を見極めて記憶する必要がある。

前些天以来,连续报道着对待麻风病人的丑恶行径。也有诉说刚刚产下的孩子被护士憋死的。这个也是原本该是[普通人]的人和社会犯下的残暴行为吗?即使是为了将来,有必要采取这种极端的方法吗?

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