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2005年01月05日の「天声人語」

作者:华南虎 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2005-2-5 7:53:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

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「東京の笑い」と「大阪の笑い」とどちらが好きか。「大阪」派が「東京」派の倍以上だった、とは本社世論調査の結果だ。

    “东京的笑”和“大阪的笑”,你喜欢哪一种?本报社民意调查的结果是:“大阪”派是“东京”派的一倍以上。

 吉本興業会長の林裕章氏も「我が意を得たり」だろうと思っていた矢先に、氏の訃報(ふほう)が届いた。調査結果が掲載された3日の死だった。「我々でも大阪の喫茶店でお茶を飲んでいるときに、おばちゃん同士の会話で笑ってしまうことがある。これが上方(かみがた)の文化やし、笑いのDNAが大阪の人にしみ込んでいるんやろね」と語っていた人である。

    我正想着吉本兴业的林裕章会长大概也觉得“正合我意”的当儿,传来了他的讣告。他就是在公布调查结果的1月3日去世的。他曾经说过:“我们在大阪的茶室喝茶的时候,有时也会听了那些阿姨们的交谈而忍俊不禁。这是上方(注:日本关东地方人称大阪、京都为上方)的文化,笑的DNA已渗到了大阪人的骨子里了吧。”

 大阪の舞台で芸人を育て、東京のテレビ番組で人気者になって全国にファンを広げる。吉本興業がつくりあげてきた仕組みだ。テレビだけで育ったタレントはすぐ消えてしまう、とまず芸を競わせた。

     以大阪的舞台来磨练演员,用东京的电视节目把他们捧红,使崇拜者遍布全国。这就是吉本兴业所创出的模式。因为光靠电视走红的演员往往是昙花一现,所以先要让他们打拼技艺。

 林氏の前任者にあたる中邨秀雄氏が芸人たちのことを「旬のある消耗品」と称したことがある。旬を見抜かなければならない。しかし消耗品だから深入りしすぎてもだめだ。厳しい世界である。

      林的前任中邨秀雄曾把演员说成“时令的消耗品”。演员必须看准时令。但因为是消耗品,所以不能过于投入。这可是个严酷的世界。

 先の調査でも好きな芸人・タレントのトップだった明石家さんまについて中邨氏は「売れるまでに十年以上かかっているからトップの座に十年以上座っていられるのだ」と(『笑いに賭けろ!』日本経済新聞社)。一方で、テレビ界の安易なタレント志向が演芸界の奥深い芸を掘り崩していくことへの危機感も募らせていた。

  说起在刚才提到的调查中被评为最受欢迎的演员的明石家桑麻,中邨道:“他用了十多年时间才成名,在这头把金交椅上坐个十多年没问题”(《在笑上赌一把》日本经济新闻社)。与此相反,影视圈内轻易成名的风气加深了人们对糟蹋艺术精义所带来危机感。

 「東京の歴史なんかたかだか400年」とは亡くなった林氏の言葉だ。先の世論調査では「いまの日本に笑いは少ない」という結果が出たものの、日本の「笑いの文化」には、なかなかの厚みがある。

  已经作古的林裕章曾说过:“东京的历史充其量也不过4百年”。尽管这次舆论调查得出了一个“如今的日本笑声太少”的结果,但日本的“笑的文化”还是相当厚实的。

相关链接:

一、 吉本兴业。

YOSHIMOTO在日本家喻户晓,代表着日本演艺界,以及「笑的事业」,综艺节目。「与大众共存」的公司口号,来 自1912年的创业时期。并提出无论在任何时候,一直以领先一步的精神去开拓,同时又能接收新生事物,准确感应社会的潮流。在20世纪整个88年的公司成立、运作中,1949年在日本东京大阪成功上市,不断的以娱乐作业的角度,进行多方面的发展是一个关键。

吉本兴业是一个大规模、高质量的演艺制作公司,从创业当初经营一家小剧场开始,到目前拥有演艺人500多位以上,经理人300多位,在综艺电视节目上占79%,在现在多媒体的时代里,吉本还拥有自己的卫星频道和遍布日本全国各地的30余家剧院、Live House以及多媒体剧场。他们将在「笑的事业」娱乐业中所取得的经理人的工作经验,活用于动画片,漫画制作,以及在日本连续做了始终在日本演艺公司收入排行榜上名列第一。4年具有亚洲最大规模的极限运动活动,全方位综合娱乐网站Fandango已经在亚洲周围展开韩国的Fandangokorea.com、香港的Fandangochina.com。

进入21世纪,YOSHIMOTO-吉本兴业他们以最强的经理功能再加上最强的内容制作,以集结「感动」的精英,创造「笑脸与幸福」的事业,全面地提供一套具有亚洲独创的娱乐业体系。

二、吉本興業の林裕章会長が肺小細胞がんのため死去。

2005/01/04 13:29

「お笑いのディズニーになりたい」との目標を掲げ、吉本興業の拡大路線を推進してきた林裕章会長。吉本興業の「顔」とも言える人物なりよね。「本業への回帰」と、多角経営を縮小してお笑いに注力して現在の元気な吉本興業を創り上げて来たなりが、残念ながら3日夜に肺小細胞がんのため大阪市北区の病院で亡くなられたなり。享年62。

林会長は1942年9月3日、兵庫県生まれ。同志社大学商学部を卒業後、繊維会社勤務を経て1971年に吉本興業に入社。テレビ・ラジオ部長、宣伝広報室長、常務、専務、副社長を経て1999年に社長に就任し、国内では関西以外の地域への積極的な進出、海外では中国でのエンターテインメント事業の展開を推し進めるなど、グローバル戦略を打ち出して来たなりね。また、マリナーズの長谷川滋利投手や小室哲哉といった、お笑い以外のタレントを所属させ、吉本興業に新たな風を吹き込んだのも林会長だったなり。


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