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2004年12月24日の「天声人語」

作者:mutoulh 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2005-1-27 9:05:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

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中国の女子大生の作文である。離婚した父と平穏に暮らしていたが、15歳のとき、父が日本人女性と再婚した。

这是一篇中国女大学生的文章。父母离婚后和父亲过着平静的生活,但是15岁的时候,父亲和一位日本女性再婚了。

 結婚式の日には、シロという犬を連れて家出した。「母と言いたくなければおばと呼んでもいい」と父は言ったが、冷たく拒否した。継母には自分の持ち物やシロに触れさせなかった。

结婚典礼那天,她牵着被称为小白的小狗离开了家。父亲说不想叫***话可以叫阿姨,可是他仍然冷漠地拒绝了。不允许继母碰自己的东西和小白。

 音楽学院の入試をひかえて大病にかかり入院した。継母は自分の血を輸血してくれた。意識が回復し、疲れた笑顔の彼女を見て心が大きく動いた。音楽学院に行くとき、シロの世話を彼女に託した。継母は涙を流した。冬休みに帰ったら、お母さんと呼ぼうと心に決めた。

临近音乐学院的入学考试时得了一场大病住进了医院。继母输了血给她。恢复意识以后看到继母疲惫的笑脸,内心受到了极大的震撼。去音乐学院的时候,拜托她来照顾小白。继母流泪了。决心寒假回家时一定要叫她妈妈。

 冬休みに帰宅しても「お母さん」はいなかった。シロを連れて娘を迎えに出たとき、急に走り出したシロを追いかけ、車にはねられて亡くなった。残された日記には、その日を楽しみにしていたことが書かれていた。「お母さんの遺志を引き継いで中日のかけ橋になりますよ」と作文は結ぶ。

寒假回家的时候“妈妈”已经不在了。带着小白去接女儿的时候,为了追赶快速奔跑的小白,出车祸去世了。在她的日记上记载了期盼着那一天的喜悦心情。文章以“继承母亲的遗志成为中日友谊的桥梁。”结束。

 大森和夫・弘子編著『「中国の大学生」発 日本語メッセージ』(日本僑報社)に収められた一編だ。中国で日本語を学ぶことには、困難も伴う。反日感情がくすぶっている。「反日」を増幅する事件もしばしば起きる。しかし、現実の日本人や日本文化に接することによって「反日」を克服していくさまを描く作文が多い。先の女子大生の物語は、象徴的な例だ。

这是一篇收录在大森和夫・弘子编著的《〈中国大学生〉日语信息》的文章。在中国学习日语是有困难的。反日情绪一直萦绕着。加重“反日”的事件经常发生。但是,由于接触现实生活中的日本人和日本文化,有很多描写克服“反日”情绪的文章。前面女大学生的故事就是一个象征性的例子。

 「中国に親しみを感じる日本人が激減している」という調査結果が先日、報じられた。作文集を読みながら、草の根の相互交流がいかに大切か、を改めて痛感する。

前些天,报道了“对中国感到亲切的日本人急速减少”的调查结果。读了文章集,再一次深切感觉到草和根的相互交流是多么的重要啊!


 

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