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多拉爱梦78自作的诗(附翻译)
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作者:贯通日本… 文章来源:贯通社区 点击数 更新时间:2008-7-28 14:53:37 文章录入:阿汝 责任编辑:阿汝 |
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暗香盈袖 - 2006-3-9 17:14:00
我作的诗十首,希望得到大家的点评! 取 舍 仲秋前后的夜色特别幽静,在书房里看着日语书,耳边不时传来蟋蟀的鸣叫,忽来灵感作了一首《取舍诗》,感觉超凡脱俗,送给大家吧! 《取舍诗》今译: 《取捨詩》の今訳: 午夜临江见孤舟 今译: 点评:
今訳: 評論: 暗香盈袖 - 2006-3-9 17:15:00
忆南国 注: 诗中的“娑罗双树”是佛教用语。相传咱佛祖释迦牟尼爷爷当年二十九岁在舍卫城四方见“四苦”(生、老、病、死),感叹人生世间的无常,决定放弃皇位,出家云游去寻找真理,先后寻访了当时两位印度所谓的圣人,一个叫阿罗逻;另一个叫伽蓝。在他们两位那里看见人们为了摆脱心理的痛苦是通过折磨肉体而达到,许多人都赤身裸体翻滚在荆棘里,或者跳下滚烫的油锅。(有些像现今电视里报道的“法轮功”吧!)佛祖断然就否决了这种做法,认为不可取,于是独自云游去寻找真理。在之后的六年里,七天吃一粒米,一天喝一滴水,到后来身体营养极度不良,瘦得像只猴!(一般的庙里,在“大雄宝殿”的佛祖的后侧,是南海观音菩萨,在观音菩萨的上方,有一位干瘦病弱的老头就是他了,佛教中称这时的释迦牟尼为“苦佛”)在他身体快要不行的时候,遇到了一位牧羊女,牧羊女用羊奶供养了他半年,使他的身体又恢复了原来的健康。这时的他是极度矛盾和痛苦的时候,以前为了摆脱世俗的烦恼出家修行,最终还是需要得到世俗人间的关爱才能屹立世间。在这种矛盾的辨证统一中,他来到了一棵“菩提树”下,打坐入定七天七夜,终于大彻大悟,在这对立的矛盾中找到了平衡和统一,彻底地解脱了,成为了佛陀。当时佛祖三十五岁,在之后的四十六年里他云游衡河两岸,渡化帮助了印度的无数百姓,其中收徒五百,就是后来的“五百罗汉”,其中有十位各有特长的他最特意的弟子,后称“十大弟子”,西方禅宗的鼻祖伽叶和二祖阿难都在“十大弟子”中。这些功绩和咱中国的“孔老二”三千弟子七十二圣贤相比是差得多啦!释迦牟尼也没留下什么典籍,只有一些和弟子们的语录吧!就是《楞伽经》,相当于《论语》吧!其他就没什么典籍了。哪有《大学》、《中庸》那样经典的著作呢?他们两个是同时代的人物,只是在后来继承他们各自的学术,所出的出类拔萃的人才就是佛家比儒家多得多了,佛家中人才举不胜举,儒家中著名的好像只有“孟子”和南宋的“朱熹”吧! 《忆南国》今译: 点评: 注: 詩の中にある“沙羅双樹”は仏教の用語だ。我々の仏様の釈迦牟尼お爺ちゃんは二十九歳の時に、シャエイ城の四方で“四苦”(生、老、病、死)を見て、人生世間の無常さを感嘆し、皇位を放棄し、出家して行脚に行って真理を探すことを決めた。それから、インドの二人のいわゆる聖人を訪ねた。一人はアララという、もう一人は伽藍という、彼らの二人の所で、人々は心理的な苦しみを抜け出す為に、肉体を苦しめることを通じて、達成することが見られて、多くの人は裸になって、イバラの中で転げ回っていて、または非常に熱い油の鍋に飛び込んだ。(この前、テレビで報道された“法輪功”のようだ。)仏様は断固としてこのような方法を否決して、それで自分独りで修行に行った。それからの六年間で、七日に一粒の米を食べて、一日に一雫の水を飲んで、最後に体が至極に栄養不良になって、猿のように痩せて来た。「普通の寺で、“大雄宝殿”(日本語で“仏殿”というかもしれない)にある仏様の後ろには、南海の観音菩薩だ、観音菩薩の上方で、一人のやせこける病気に弱いお年寄りが彼だった、仏教でこの時の釈迦牟尼を“苦い仏陀”と呼ぶ」彼の体がもうすぐ駄目になった時、一人の羊飼いの女と出会って、羊飼いの女は羊の乳を使って、彼の半年を供えて、彼の体をまたもとの健康を回復させた。この時の彼は極度の矛盾と苦痛に沈んでいて、以前は俗界の悩みを抜け出す為に、出家し、修行に行ったけど、最後に、やはり俗界人間の関心と愛を得てこそ、ようやく世の中にそびえ立つことができた。このような矛盾している弁証法的な統一の中で、彼が一株の“菩提樹”の下に来て、座禅を組んで、七日間禅定に入って、ついに徹底的に悟って来た。この対立している矛盾の中で平衡と統一を探し当てて、徹底的に解脱して、仏陀になった。その時の仏様は三十五歳だった。それからの四十六年の中で彼は衡河の両岸を行脚して、インドの数えられないほどの庶民を助けて、彼岸まで済度した。その中で、五百の弟子を収めた。それは後で“五百羅漢”と呼ばれている。その中で、十人のそれぞれ特技を持っている弟子がいて、それは後で“十大弟子”と呼ばれている。西方の禅宗の鼻祖伽葉と二祖の阿難はすべて“十大弟子”の中にある。それらの功績は我が国の“孔老二”の三千弟子と七十二聖賢と比べて、比較するものならないほどの差があると思う。釈迦牟尼はそんなに多くの典籍を残していないで、ただ彼の弟子との達語録だけ残してある。それは《楞伽経》で、《論語》に相当するものである。その他は典籍は何もなかった。《大学》、《中庸》のような経典な著作がないようだね。彼らの二人は同時代の人物で、ただ彼らの各自の学術を受け継いでいる人物は、抜群に優れている人材は仏教が儒家よりずっと多くなった、仏教での人材は挙げきれないで、儒家の中で有名なのは“孟子”と南宋“朱熹”だけあるようだった。 《忆南国》今译: 評論:
《圆梦诗》今訳:
秋夜学古文 今译: 注釈: 今訳: 暗香盈袖 - 2006-3-9 17:16:00
与张文耀短信畅谈后赋诗一首 今译: 注釈:1.黑白子は囲碁と指す。人生は囲碁のようにするのは、我が人生はいつどこでどんな人と出会うのか、分からないんだ。これは囲碁と同じように、この局ではこの黒玉はちょうどその白玉のそばに置いて、次の局では、この二個の玉はずっと遠く離れているだろう。 今訳: 答刘政诗一首 今译: 注: 今訳: 注釈: 题诗贺寿 今译: 注:“红泥”というのは床に敷いている赤い絨毯であることを示している。ここの寓意はあなたが高官に就任しに行くのだ。現代に転用すれば、一つのよい職位を身につくことだ! 今訳: 早春遇君 突然に窓の外の蕭蕭たる風音を耳にして、頭を下げて、玄関の前にある道(人生の道を比喩する)が遥々に通っていきている。何度も振り替えて美貌でしとやかな女の子を見たけど、すべて蜃気楼のように夢の中ですっと過ぎ去った。今の春風はすでに万物にそよそよと吹いて蘇って、桃の花(敬慕する女の子)はいつ私に向かってほほえむことができるか?今、私は貴方と出会って、喜びきりがない、貴方と一緒にトップ(人生事業のトップ)に登ろう! 注釈: 今訳: 注:
这大人够强的吧~~大家来帮点评点评如何~
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