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2004年9月20日の「天声人語」

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人生(じんせい)の残(のこ)り時間(じかん)が少(すく)なくなってきた。そう思(おも)い始(はじ)めたとき、人(ひと)はどうするか。できるだけ豊(ゆた)かに多彩(たさい)に生(い)きようとするのか。あるいは余計(よけい)なものを削(けず)りつつ、簡素(かんそ)な生(い)き方(かた)を志(こころざ)すのか。

当人们开始意识到,人生剩余的时间在逐渐的减少的时候会怎么做呢?是尽可能的让生活过得丰富多彩,还是是立志于消除生活中多余的繁琐细节,过一种简单朴素的生活呢?

 「テレビは見(み)ない、電話(でんわ)は嫌(きら)い、冠婚葬祭(かんこんそうさい)、夜(よる)のパーティーはすべて欠席(けっせき)、ワープロ、インターネットとは無縁(むえん)」。今夏亡(こんかな)くなった作家(さっか)の中野孝次(なかのこうじ)さんは、余計(よけい)なものを排除(はいじょ)しながら晩年(ばんねん)を送(おく)った。しかし、容易(ようい)に捨(す)て去(さ)れないものもあった。数々(かずかず)の書物(しょもつ)である。

今年夏天逝世的作家中野孝次先生就是,排除一切生活中多余的部分“ 不看电视,不打电话,不出席任何婚葬仪式,不用打印机,不上网。”(在这样的简单生活中)渡过了自己的晚年。但是,(他)也有着无法舍弃的东西,那就是一生珍藏的诸多书籍。

 あるとき、愛蔵(あいぞう)してきた本(ほん)を手放(てばな)す苦渋(くじゅう)の決断(けつだん)をした。「別(わか)れるべき書物(しょもつ)(文学者(ぶんがくしゃ))の名(な)を一(ひと)つずつ書(か)いていった」。たとえばドイツ文(ぶんがくしゃ)学者の全集(ぜんしゅう)は身内同然(みうちどうぜん)で「別(わか)れるのは文字通(もじどお)り身(み)を切(き)られるような辛(から)さ」だった(『((()老(お)いのこみち』())文芸春秋(ぶんげいしゅんじゅう))。

有些时候,不得不做出痛苦的决断,放弃自己珍藏的书籍。(他说)尽管如此还是应该将放弃的书籍名(作者)一一的记下来。例如德国的文学家全集,全身都觉得“和它们分开简值就是切肤之痛”(《老人之路》文艺春秋)

 捨(す)て去(さ)れないものもあった。酒(さけ)の楽(たの)しみである。午後(ごご)は間食(かんしょく)せず、水分(すいぶん)も控(ひか)える。「そうやって体調(たいちょう)の下拵(したごしら)えをしながら、日(ひ)が暮(く)れたときのことを思(おも)って、心(こころ)をおどらせている」。そして「犬(いぬ)たちを傍(かたわ)らにはべらせての独(ひと)り酒(ざけ)」に至福(しふく)の時間(じかん)を過(す)ごした。

另一个无法割舍的就是享受酒的乐趣。“下午不吃午饭,控制喝水, 一边调查好身体的状况,一边想像着到了日暮将至时的情景,心情就变更无比激动”。就这样渡过“ 让旁边的小狗陪伴我自饮自酌”的幸福时光。

 残(のこ)りの時間(じかん)には、日本(にほん)、中国(ちゅうごく)や古代(こだい)ロ(ろ)ーマ(ま)の古典(こてん)の世界(せかい)に沈潜(ちんせん)した。簡素(かんそ)でぜいたくな余生(よせい)である。そんな生活(せいかつ)の中(なか)から、いやおうなく見(み)えてきたものがあった。現代社会(げんだいしゃかい)のゆがみである。「老(お)いの繰(く)り言(ごと)」とはいわせない数々(かずかず)の警告(けいこく)を残(のこ)し、彼(かれ)は逝(い)った。

在剩下的时间里,就沉浸在日本、中国以及古罗马的古典世界里,渡过了一个简朴的晚年。在这样的生活中,也有着偏离现代社会却令人不可置否的东西。他留下无数不能被称呼“老人的唠叨”的告诫离开了我们。

 つい先日亡(せんじつな)くなった歌人島田修二(かじんしまだしゅうじ)さんにこんな作品(さくひん)がある。〈(。()余計者(よけいもの)になりてしまひし老人(ろうじん)の目(め)の鋭(するど)さをわがものにせん〉。()。)老(お)いた目(め)の鋭(するど)さにも敬意(けいい)を表(あらわ)すべき敬老(けいろう)の日(ひ)だ。

先些天逝世的和歌作者岛山修一先生留下了这样的作品“暮年的年老人们敏锐的目光,是我们不可得的” 这应该是向老人敏锐目光表达敬意的“敬老日”。

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