(1)上様(うえさま)
「『領収書のお名前はカミサマでよろしいでしょうか』と言われて一瞬とまどったが、受け取って見ると、ちゃんと『上様』と書いてあったのでほっとしたよ」
(解説)
「上様」は、領収書・勘定書(かんじょうが)きなどで、相手の名前の代わりに書く敬称である。「じょうさま」とも読むが、「うえさま」が一般的である。しかし、「かみさま」とは読まない。「上様」は、「貴人、特に武家時代の将軍の敬称」の意をも表し、時代劇のせりふによく使われる。
なお、「お上
(かみ)」と言えば、「天皇の敬称。主君・主人の敬称。政府・幕府など政治を執(と)り行(おこな)っている機関。(多く「女将」と書いて)料理屋・旅館などの女主人」などを意味する。
(2)
お握(にぎ)り / 握(にぎ)り
「お友達とお寿司屋
(すしや)さんに入って、この松のお握り二人前お願いしますと言ったら、『うちは握りはやっているが、お握りはやっていないよ』ですって」
(解説)
「握り」は、「握り鮨(ずし)」の略称でもあり、「握り飯(めし)」の略称でもある。後者は「お結(むす)び」とも言い、「握り」の場合も「お」を付けて使われることが多い。しかし、「握り鮨」を指す場合は、丁寧語「お」を付けては言わない。
なお、「冷
(ひ)や」も、「冷や水(=冷たい水)」と「冷や酒(=燗<かん>をしない、冷たいままの酒)」の略称であるが、丁寧語「お」が付くのは前者で、後者の意味の場合は付かない。(「お冷や」は、昔の女房詞(にょうぼうことば)「お冷やし(=器に入れた冷たい飲み水)」の略。)例、「酔い覚ましにお冷やを一杯頂きたい」「冷やで一杯ひっかける」。
(3)
生蕎麦(きそば)
「よくそば屋の看板(かんばん)やのれんに『なまそば』と書いてあるが、あれは、新鮮な生物(なまもの)という意味を表しているのかね」
(解説)
「生蕎麦」は「きそば」と読み、「なまそば」とは読まない。「そば粉(こ)だけで打ったそば。また、小麦粉などをあまり混ぜないでつくったそば」をいう。(「き」は、「純粋でまじりけがない。人工を加えず、自然のままである」の意を示す接頭語。)
(4)
座薬(坐薬)(ざやく)
「この
座薬、表記どおり、ちゃんと座(すわ)って飲んでいるのだが、こうして飲むことによって、どんな効果があるのかね」
(解説)
「座薬」とは、肛門(こうもん)などにさし込み、体温で溶かして用いる薬のことである。藤堂明保著「漢字語源辞典」には、「座」「坐」「挫」「竄」「鑽」などは同じ単語家族に属し、共通の基本義は「くぼむ、もぐる」とある。また、「岩波新漢語辞典」には、「座薬」はオランダ語 zetpil の訳語とある。
なお、「ざやく」の本来の表記は「坐薬」である。(古くは、「座」は名詞、「坐」は動詞として用いられた。「坐」は常用漢字表にない字。)
(5)
食間(しょっかん)
「この薬
(くすり)、食間に服用するようにと言われたので、食事のとき、二、三口食べては薬を飲み、二、三口食べては薬を飲みしているので、めんどうくさくてね」
(解説)
薬の場合、「食間に服用」とあれば、食事と食事の間、つまり前の食事の二時間後くらいに服用することをいう。(「食前」とあれば食事をとる三十分くらい前までに、「食後」とあれば食事の後三十分くらいまでに服用することをいう。)
ところで、「食間にワインを飲む」といった場合はどうであろう。「食間」は、この例のように「食事をしている間。食事中」という意味で使われることもある。
(6)
親展(しんてん)
「あなたあてで来た手紙を、なんで開けてちょうだいって持ってくるの」「ここに
親展とあるの。これ、おやが開けるということでしょう」
(解説)
「親展」は、封書の上書(うわが)きにしたため、名あて人自身が開封して読んでほしいという意味で使う語である。(「親」は「みずから、自分でじかに」、「展」は「ひらく」の意)。「親」の付く熟語には、「親権者・両親、親族・近親」など「おや、みうち」の意のほかに、「親善・親睦(しんぼく)・親交・親友」など「したしむ、したしい」の意を表すものも多い。
(7)
足袋(たび)
「若い女店員に、たびを見せてくださいと言ったら、『ございません』と言うの。でも、あの棚(たな)にちゃんと書いてあるではありませんかと言ったら、『あら、あしぶくろのことですか』ですって」
(解説)
確かに「手袋」の読みは「てぶくろ」だが、「足袋」は「たび」としか読まない。「足袋」が、今の若い女性には縁遠い存在になってしまったということであろう。(この語は、常用漢字表の付表に掲げられている熟字訓(じゅくじくん)の中にある。古代に鹿(しか)などの革(かわ)でつくった沓(くつ)<靴>を「単皮(たび)」と言ったことからいう。)
(8)
天地無用(てんちむよう)
「
天地無用の張り紙があるのに、なんでそんなに乱暴(らんぼう)に扱うの」「あれ、これ、ひっくり返してもかまわないということではないの」
(解説)
荷物の箱に張られることのある「天地無用」の紙の「無用」は、「心配(気遣い)無用」「問答無用」など、「必要ないこと。いらないこと」の意ではない。「落書き(立ち入り)無用」「小便無用」などと使われる「無用」で、「してはいけないこと。禁止」の意を表す。「天地無用」は、「中に壊(こわ)れやすい物が入っているから、この荷物を逆(さか)さにするな」という注意書きである。
なお、「天地」は「上と下」を指し、古くは、「上下をひっくり返す」ことを「天地する」とも言った。
(9)
半時(はんとき)
「田舎(いなか)のバス停で、いつ来るとも知れぬバスを不安な気持ちで待っていたら、通りかかったおばあさんが『半時もすればまた来るだよ』と言ってくれたので、てっきり三十分もすれば乗れると思っていたら、なんと一時間あまりも待たされてまいったよ」
(解説)
昔の時刻は、一日二十四時間を、子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)の十二に分け、それぞれを「一時(いっとき)」とした。つまり、一時は今の二時間であり、「半時」と言うと今の一時間に相当した。そして、今の三十分は「小半時(こはんとき)」と呼んだ。また、昔は、夏でも冬でも、日の出・日の入りを基にまず昼と夜とに二分し、それから昼を六等分、夜を六等分した。したがって、同じ一時でも、夏は、昼の一時は長く、夜の一時は短かった。(夏至<げし>のころの昼の一時は、今の二時間三、四十分に当たった。)
なお、「一時」には、他に、「ちょっとの間。ある一時期。同時、いちどきに」などの意味もある。例、「一時の辛抱
(しんぼう)だ」「一時はやった歌」「問題が一時に解決した」。
(10)
篠突(しのつ)く雨(あめ)
「この間ラジオを聞いていたら、『
火のつく雨』という言葉が使われていたので、びっくりしたよ。雨の中では、とうてい火などつきそうにもないのに、なんでこんな言い方が生じたのだろう」
(解説)
「シのつく雨」を「ヒのつく雨」と聞き間違えたもの。「シの」は「篠(=篠竹)」のことで、「(篠竹を束ねて突き落としたように)激しく降る雨」を「篠突く雨」という。「火のつく」は、「赤ん坊が火のついたように泣き出した」「火のついたような騒ぎになる」などと使われる語。江戸っ子ならずとも、「シ」と「ヒ」の発音を混同する人は多いようである。